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吾輩は難儀である

難儀な性格だなぁと思う。

先日車を購入したが、正直に言ってちっとも嬉しくない。
いや、流石に嬉しくないと言うと語弊がある。
将来への希望や夢よりも、事故や支払いといったリスクや不安の方が多いので憂鬱になる、というのが正しい。

家を買った時もそうだ。
新しい家で楽しい暮らしを送るぞ!ではなく、ローンの支払いができなくなったらどうしようとクヨクヨしていた。
見かねた妻が、いい加減にしろよと喝を入れて立ち直った。

コーチングスクールで、「理想的な未来を描こう」というワークをやった。
自分が思う最高の状態。それを手に入れたら、他にはもう何もいらないという状態。それをイメージしようということだ。
やってみたが、分からない。
なんとなく、こうなったら良いなという像はあるが、抽象的すぎるし実感がない。他人事感。
やればやるほど悲しくなる。
イメージが出来ない自分に対してもそうだし、理想と現実のキャップを感じると、涙が出そうになる。

希望を抱こうとすると、それを上回るレベルの不安が押し寄せる。
近づこうとすればする程遠くなる。
現実という重力から逃れられない。むしろ重くなる。

であれば、夢も希望も抱かない方が楽だ。
何もしないほうが良い。
何も無ければ、落ち込むことも、無理に元気を出すこともない。
だから、「理想の状態は?」と聞かれたら、「何もない状態」と答えてしまう。
それが一番楽だから。

つくづく、難儀な性格だなぁと思う。
でも同時に、自分で自分を難儀にしていることも分かっている。
そんな考えすぎず、単純に生きれば良いのに。
分かっている。
でも、そうやって難儀だ難儀だ言っていること自体に、私にとってメリットがある。

だって、何もしなくて良いんだもの。
ただ現実にひれ伏して、与えられた餌を食べ、難儀だ難儀だ言いながら生きていれば良いのだもの。
それは楽な人生だ。
楽しくはないけど。

…。

そうだね、私は楽しく生きたいのかもしれない。
ただただ、今が楽しくて仕方がないって感じで日々を過ごしたいのかもしれない。
そうすれば、将来の不安なんかに負けることはない。
だって、今が楽しいんだもん。

今の自分は楽しく生きているか。
いや、楽しくない。
なんなら辛い。暗い。モヤモヤする。
それが私らしいといえば私らしい。
いや、そんなんであってたまるか。


本当に、難儀な性格だ。
そりゃ生きづらくもなるわけだ。
いい加減にして欲しい。
楽しく生きたい。
それが、自分から一番遠いものだということも知ってるけど。


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