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ヨガでデトックスしては人生の美酒を味わう

私事ですが、
去年は色んなことが起きました。
(いや毎年色んなことが起きるんですけど笑)
どんなことが起きたかと言うと
平たく言えば多分「飼い犬に手を噛まれた」という表現が
当てはまるような出来事が(しかも2件同時進行で笑)起きました。

私の悪い癖は相手を信用しちゃうこと。
いや厳密に言うと本当に100%信用しているわけではなく
もしかしたらその信用をこっぴどく裏切られる可能性もあることを
恐らく30〜40%くらい認識しつつ残りの60〜70%に賭けてしまいます。

つまり毒かもしれないと思いつつ
盃をえいっと煽ってしまうソクラテス的ギャンブラー性質。
しかもちっとも学習しない。
なので今までの人生でわりとこんな目によく遭ってます。

友人から訓戒をいただきました。
「身の回りに起きることは全て自分が引き起こしていることなのよ」
彼女はトラブルが立て続けに起きたので心配して忠告してくれたのです。また同じようなトラブルを引き起こさないように自分の行動を慎めと。

確かに。ごもっとも。
でも、あれ?と思いました。

そんなに悪い出来事だったのか??

人と出会い関係を築こうとする時
私たちは多かれ少なかれ毒かもしれない盃をえいっと煽っているわけです。
飲んだ時は毒じゃないかもしれないけど
お腹の中で化学反応を起こして毒になることもある。
そんなことまで心配して盃に口をつけずにいれば
安全っちゃ安全かも知れないけど
その代わりとっても寂しい人生を送ることになるじゃないか。

ついでに言えばその飼い犬2頭とも保護犬でした。
血統書付きとかじゃなくて
あんまり可愛がられなくて居場所がなくて寂しくてウロウロしてるような。
一般受けしないタイプがついつい可愛く思えてしまう私は
ご飯食べさせたりボール遊びさせてるうちに
相手はお腹一杯になってボール遊びに飽きて出ていったわけですから
当初のレスキューの役目は果たしたわけです。

見返りがなかったと言えばなかったかもだけど
(手噛まれて怪我もしたし笑)
保護しようと思ったから保護しただけ
そのおかげで私もボール遊び楽しかったし。

第一、可哀想な犬がお腹を空かせて居場所もなくて
道端で泣いてる時に
この犬が将来立派な番犬になるかどうかを見極めてから
保護したりしませんよね?

こんな時こそヨガは役に立つ。

毒かも知れない盃をえいっと飲み干して
「あらま毒だった」と気付いた時は
どうやって解毒するか
お腹の痛みをどうするか
次にどうやって一歩前に進むかを知ることができる。
(ただ淡々とヨガとマインドフルネスを練習し
身体と呼吸を整え心を整え続けるだけなんですけどね)

そして前に進んでいるうちに
すっかり毒も痛みも忘れ
また次の盃が目の前に置かれる。
毒かもしれない毒じゃないかもしれない
人生の色んな美酒を味わうことができるのです。
特に毒ではなかった時の美味さと言ったら!

それなら私はまたその盃をまた煽るでしょう。
心配してくれる友人にはごめんなさい!だけど。

追記。
この文章書いた途端に10年苦楽を共にした愛犬が突然危篤状態に陥った。いまだに生き延びるか否かの瀬戸際を彷徨っているが、彼もまた保護犬だったが、忠実な友で立派な番犬で
しかも一度も私を噛んだ事はない。
紛れもなく人生の美酒のひとつだ。
生き延びてくれ!





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