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「かまってちゃん」の痛みが教えてくれたこと

恥ずかしながらヨガを教えて16年、怪我や故障をしたことがありません。で、この度初めて股関節から脚にかけて神経を痛めるという経験をしました。

なぜ恥ずかしながら、かと言いますと(違うだろ、ヨガインストラクターが怪我するのが恥ずかしいんだろ?と突っ込まれそうなので、ちょっと説明)
ほとんど生まれて初めてのような激痛、痛い、動けない、ちょっと無理するとぶり返す、そんな状態でのたうち回っていると
「こんな痛みも知らずにヨガを人様に教えてたんかい?!」と自らの奢りに打ちのめされる思いがするのです。

そもそもこの故障も奢りに原因があります。
「自分の身体の声を聞いて、マインドフルに向き合って」などと生徒さんには言いながら、この怪我をした時に私生活で大変なストレスを抱えていた私は全く自分の身体の声なんか聞かず、緊張しきった身体に鞭打って走り回っていました。いつものヨガプラクティスもバンバンバンと機械的に動いて「あれ?このポーズの前はなんのポーズしたっけか?」と思ったりして。

ヨガの神様から怒られたんですね。はい。
本当に本当に本当にマインドフルでないヨガプラクティスは危険です。

それにしても痛みは色んな事を教えてくれます。

何しろちゃんと怪我をしたことのない私は「無理をしない」と言うことすら分からない。それで2日くらい痛みで床に倒れて暮らして3日目に良くなると「お、良くなったじゃん、Yay」とまた普通に暮らし始めて、そんでまたぶり返して5日目の朝にまた強制終了かかる、というサイクルを3回ほど繰り返し、やっと「無理をしない」というのがどういう事か学びました。

痛みとはありがたや。身体が発するアラート。
「動いてる場合じゃないやろ、床に転がってろ!」
痛み止めの薬なんて飲んで痛みを感じなくなったら、それこそ故障してる自分の身体にもっと危害を加えてしまいそうで恐ろしい。。。

で、試してみたのが「痛みを緩和するための瞑想」

インストラクションは身体の緊張を緩和し、痛みでパニックになっている脳を和らげる事から始めます。深呼吸したりボディスキャンするだけでいかに自分がパニックになって心身が緊張しまくってるかがよく分かる。

それから痛みを観察します。
痛みを否定したり目を逸らすのではなく、痛みのままに受け止める。
身体のどこに痛みがあるのか、どんな種類の痛みなのか、色や形で表現するとどんななのか、呼吸と共に痛みがどう変化するか。
そしてその痛みと共にそこに留まる。
痛みに抗うのではなく自分の一部として共に居る。
そんな事をしているうちにすっかり心身がリラックスして
眠くなって気が付くと本当に痛みがすっかり和らいでいるのです。

つまり「痛み」って「かまってちゃん」なのね。
もっと私に愛を!まずは私のケアを!と駄々こねてるのね。

ちなみにこの「痛みを緩和するための瞑想」は
身体の痛みだけではなく心の痛みにも使えます。
心の痛みも否定して蓋をして存在しないフリをするのは危険なのです。
痛みを根本から治癒するためには傷を開いて血を流し切って
風に晒して乾かすのがよろしい。人生は生傷と故障の連続ですから。

今回の故障のおかげで何ヶ月も前から予約していた大阪でのヨガワークショップを諦めた私、とほほ。10年ぶりに会えるはずだったアメリカ人ヨガグル、ベンジャミンに、故障しました、行けません、悪しからずメッセージを送ったところお返事。
「歳を取るというのは時にとっても痛い経験だよな」
「そうね、でもおかげで賢くなる」
「確かに❤️」




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