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乳癌の話。旧友の場合〜「感じないおっぱいなんて要らない!」

最近プライベートでヨガレッスンを受けて下さっている
50代の女性の生徒さんが、スタジオに入って来られた時に
その顔色を見て「あっ」と思いました。
頬が紅潮して額にうっすら汗までかいています。
「顔色が良いですね、お元気?」と伺ったら
「はい、今、自転車ですっ飛ばして来ました」
私は思わず微笑んでしまいました。

実はこの女性は只今抗癌剤の治療中。

初めてレッスンに来られた時には全身がガチガチで
(もちろん初めてヨガレッスンを受ける方は大抵ガチガチですが)
身体の動きや顔色から「生気」がない、とてもエネルギーレベルが低い
といった印象を受けました。
何回かレッスンで身体をほぐしたり緩い動きや呼吸法を経験された後なので
顔色が良くお元気そうな様子がとても嬉しかったのです。

「なんでか全然分かりませんが、ここでレッスンを受けた後はとても心も身体も軽くなるのです」
「そうなんですね。ありがとうございます。その理由は追々」
と私はニヤニヤしてしまいました。

ちょうど先月、私は東京で大学時代の親友に久しぶりに会っていました。
彼女は私が遠く離れて暮らしている間に乳癌に罹り、両方の乳房を摘出していました。

「医者からあなたの乳房(にゅうぼう)なんて説明されて、私、こう言ったのよ。私はにゅうぼうなんて持ってません。私が持ってるのはおっぱいですって」
彼女は摘出手術の後に勧められた乳房再生手術を断りました。
「感じないおっぱいなんて要らないわよ!」

とにかく昔から破天荒な旧友の過激発言にお酒を飲みながら笑いましたが
彼女が言いたいことはとてもよく分かる。
「まきちゃんがヨガで伝えるべき事はそこなのよ」
と彼女に発破をかけられました。

もちろん医学の発達のおかげで癌治療も乳房再生手術もとてもありがたい。
医学で助けられる人は大勢いるし、ヨガは癌を治したりすることはできない。(予防にはなるとこっそり思ってます)

けれども西洋医学では人間の存在をパーツ毎に切り離して考えます。
頭と心と肉体と、肉体に関してだって内臓と骨と筋肉と。
その部分だけに注目して薬を投入したり切り離したりする。

例えば関節の故障があると「年齢ですね」と言われ痛み止めを投与して
それでもダメだったら手術になります。そんなものだと諦めていたのにヨガレッスンに通ったら症状が軽減しまうケースはたくさんあります。
だって関節の故障はそもそも身体全体のアンバランスや身体の使い方が原因なのだから、全身を整えれば改善するはずなのです。
それに関節の故障がなんとストレスなどメンタル不調が原因であることも多いのです。だから身体を整えるだけではなく心を整えることで症状が軽くなったりもする。(もちろん手遅れになっていなければ)

旧友の話を聞きながら、数学者岡潔の本に書いていたことを思い出しました。

「医者に生命とは何か、何をもって生きているとするのかと聞いても、医者はわからないと答える。医学は物質科学であって、決して生命のことを扱っているのではない」
「生命とはひっきょうメロディーにほかならない。日本ふうにいえば”調べ”である。人の情緒は固有のメロディーで、その中に流れと彩りと輝きがある」

私たちはレゴの人形のように、パーツとパーツを組み合わせて出来ているのではなく身体と心とが複雑に混じり合っている全的な存在なのです。

お医者さんから見たら” 癌細胞を持ったにゅうぼう” を切り離して、手術で素晴らしく美しいものを再生させるだけなのでしょうが
彼女にとっては”おっぱい”であり彼女という全存在と繋がっていたもの
彼女の持つ母性や女性、性や生命や喜びや悲しみ、今まで生きていた時間、全てと繋がっていたものなのです。(彼女はエッチのボタンと呼んでいましたが笑)

次の朝、私は岡潔の本のページを写真で彼女に送ってこうメッセージしました。
「あなたのおっぱいが無くなったのは残念だけど、でもあなたのからだは強靭な生命力とクレイジーな感性で出来上がっているからそのままで十分カッコいいよ」

ヨガの生徒さんに話を戻すと、私がとても嬉しかったのは何回かレッスンに通ったら、もういきいきし始めている。岡潔の言葉を借りれば彼女固有のメロディーが聴こえ始めたと感じたからです。

生徒さんにこうお伝えしました。
「私が何か特別なことをしている訳ではないのです。
ヨガとは身体のエネルギーの流れを整え呼吸と心を整えてくれるものなのです。現代生活はその本来の生命力に何かと蓋をしたり弱めたりする事が多いのです。ヨガをするとその蓋が取れるのです。
あなたの本来持っている生命力がただ働き始めただけなのですよ」

これだからヨガは止められねえ




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