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正解のない問題に答えを作り出すクセをつけよう

記事をご拝読いただきありがとうございます!

TAKAPANと申します。

僕は23歳の四国出身

現在は広島県で医療従事者、スポーツトレーナーとして活動しています。

このアカウントではトレーナーや医療従事者としてではなく23歳なりに感じ

た社会へ思うことや社会人としての失敗や成功を共有するnoteになります。

答え探し

最近僕自身すごく思うことがあるのですが

何かしらわからない問題にぶつかった時って悩みませんか?

そして悩んだ時のあるあるとして

僕はよく答えを探すことに執着していました。

これの場合はどうすれば良いのかな?

と言った形で本を見まくったり、有名人はこの場合どう考えているかどうか

を知りたいがためにネットで検索していました。

一見本を読んだり、他人の意見を取り入れたりするのは良いように感じられます。

しかしこれをしているうちに感じたのは

他人軸に縛られて何をしても100%解決感を感じられないということです。

自分が考えた答えではなく他人の意見に共感しあ

たかも自分の意見のように解釈してしまいますが

心の奥底ではその意見の責任を相手にしているこ

とが往々にしてあります。

僕自身が実際そうなっていました。

僕の場合はキングコングに西野亮廣さんが好きな

のですが西野さんがこうといったら本当に共感で

きてしまうので西野さんが右と言った左と言った

ら左と言ったように西野さん軸でものごとを考え

てしまいました。

本も実際にそうで

本といえば自分自身の思考を高めたり、知識をインプットするのに最高の

ツールとなります。

ただ知識を得る最高のツールがためにこの本でこう記されていたからと言っ

て責任の所在を本にしてしまうんですね。

ここは本の落とし穴なところで

自分の軸から離れって言ってしまう要因ともなりえるところです。

なぜ答え探しモードになってしまうのか?

これはおそらくですが日本の学校教育になると僕は考えています。

海外では幼少期から教育として創造性を高めるような授業やディスカッション

ンの取り組みがなされています。

そしてそれに対してそれぞれが意見を言い合いそれを否定するもよし、尊重

するもよし、みたいな環境であると。

一方日本はどうだろうか学校では

何の授業をしても公式や決まりごとがありそれから逸脱していると

不正解をとされてしまう。

学校のテストなんて完全にそうで創造性のかけらもないものしかないと

数値化できない部分を評価してもらえない。

何より思うことは発言したら叩かれるという文化。

多分これは静かにいることが美徳とされている日本特有の伝統なのかもしれません。

とにかくこれらのせいによって何もかもに答えがあると日本人はあると思っているらしく

これについてどう思う?と聞かれても行き詰まる人間が多い。

1つ面白い事例があったのでご紹介させていただきます。

最近日本政府の方針により

成人とする年齢を18歳に引き下げられましたよね。

なので18歳から裁判員として裁判所に行くことがあるかもしれないということです。

そして
最近ニュースで面白いことが取り上げられてるものがありまして、、、

高校生が弁護士の方を招いて議論する授業というか

裁判員裁判を学ぶものがありまして

実際に模擬裁判をしてみて

高校生に裁判員をやらせたらしく

この時に
生徒が弁護士の先生にこのように質問したそうです。

「先生!僕らはこのような意見を出しましたが先生あってますか?

先生の意見はどのようなものですか?」

そしてこの質問をしたのは生徒だけでなく

学校の先生もしてしまったんですね。

「先生!普通の裁判だったらどんな判決になるのが普通なんですか?」

このように質問したそうです。

このように生徒の正解は当てにならないから弁護士の答えと照らし合わせたい状態になっていたんですね。

そう、大人までも答え探しモードになっていると。

でもよくよく考えると

本当の正解があるのならば

裁判官なんて必要なくないですか?

答えがあるなら一般の人をいちいち法廷に呼ばないです。

答えのない問題だからいろんな人を呼んで議論するんです

誰かの答えを聞きたいのは本当にわかります。

この時はこうすればいい。

この人の意見を聞いて安心したい。

非常にこの気持ちはわかります。

でもそれでたどり着いた答えは自分自身で導いた答えなのか?

なぜその人の意見を聞きたいのか?

自分に問いかけた方がいいと自分は思います。

僕が思うに

・自分の責任逃れをしたい
・自分よりも他人の正しい答えを知りたい

このような状態になっている方がほとんどだと思います。

そしてこのような思考状態が続くと

自分軸で生きることができなくなっていきます。

なぜなら自分で思った疑問、問題を他人に解決してもらっているから。

自分の意見を持つって非常に難しいですね。

正解のない問題に答えを作ってみよう

この前バイキングかめざましエイトかわかりませんが

非常に痛ましい事件がありました。

それは

30代の夫婦の間に子供が生まれまして

ただこの子供はそのご主人様の精子からできた子供ではなかったんですね。

ご主人様は遺伝性の病気によって子供に影響を及ぼす可能性があったため

夫以外の方との子供を作る選択をしたのですが

ネット上(ツイッター)で精子提供者を募ってマッチングした人が見つかっ

たためその人と10回程度の性交渉によって子供作ったそうです

そしてその精子提供者の条件として

・夫が東大出身なのでそれにそぐわない同じぐらいの学歴である
・日本人である
・未婚である

このような条件だったんですね。


そして赤ちゃんを産んだ後に発覚したのですが

精子提供者は
・普通の国立大学出身
・中国籍
・既婚者

全くマッチングしてなかったんですね。

さらに問題なのは

その女性の方は産んだ子供を見ると精神的にもたなくなるので

もう育てられないと言って

児童養護施設に預けたそうです。

そして女性の方が相手に3億円の賠償で裁判を起こしたらしいです。

非常に悲しいニュースですよね。

でもこれは本当にこの人たちだけの問題だろうか?

このように
子供が望んでいるのに子供が授かれない人は日本に多くいる

女性独り身だけど子供が欲しい。

同性愛者だけど子供が欲しい。

このような人絶対にいる。

日本では合法で人口受精できません。

なので医療行為として病院で第3者の精子提供をしているらしいです。

でもこれは相手方が不妊である場合じゃないとできないらしいです。

なので男女カップルじゃないと通らないと。

でも海外では合法的に精子提供ができるので

精子バンクプラットフォームのようなものがあって

精子が欲しい女性と精子を提供してくれる男性をマッチングさせて子供を作

ることができるらしいです。

なのでマッチングして待ち合わせ後性交渉するみたいなこともあれば

待ち合わせして男性がトイレで自慰行為をして女性に渡して女性がすぐに膣に専用の器材を用いて入れる。

みたいなこともするんですね。

色々怖いですが

おっきなビジネスとして成り立ってるんですね。

すごいですよね。


そしてお話しが長くなりましたが本題です。


皆さんはこの問題に関してどう思うでしょうか?

ただただ子供がかわいそうとで終わらせず

どうすればこの問題を解決できるだろうかと考えてみましょう。

そもそもこんなことしない方がいいのか?

でもそれで子供が欲しいけど子供を授かれない人を放置するのか?

など考えてみると意見は出てくるかと思います。

ただこれにはまだ正解はありません。

とういうか正解は多分ありません。

なのでここで自分の意見を考えてみて

答えに対して合ってるのかな?と不安になったりするかもしれません。

ただこれには答えはないので不安になる必要はありません。

その意見でいいのです。

そしてその意見をを振り返ってみてください。

なんか自分の意見なので

「私はこう思う!」と

いうどこかスッキリするものがあるかと思います。

自分の意見を持つように自分も心がけます。

答えがわからないと調べるのはいいかと思います。

でもまずは自分の少ない知識の中で仮説(自分の意見)を考える癖をつけましょう。

その後に知らべてみてそっちの方が合理的であるのなら取り入れればいし、

微妙なら自分の意見を貫いていいかと思います。

多分「答え」というワードよりも「自分の意見」というワードを考えながら

考えるといいかもしれません。

頑張りましょう。

ではでは。







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