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暗闇に掘る …私は書くべきか

文章を書くとき、絵を描くとき、曲を創るとき
それら創作物が世の中にもたされるとき
作り手はそれらをどのように生み出しているのだろう。

「女のいない男たち」という短編小説集の前書きで
著者の村上春樹さんは次のように書かれています。

村上春樹「女のいない男たち」まえがき より

何かが起こり、その一瞬の光がまるで照明弾のように普段は目に見えないまわりの風景を、細部までくっきりと浮かび上がらせる。そこにいる生物、そこにある無生物。そしてその鮮やかな焼きつけを素早くスケッチするべく机に向かい、そのまま一息で、骨格になる文章を書きあげてしまう。

シュルレアリスム画家のエトガー・エンデさんが創作にあたってイメージを捉えるときのことを彼の息子で童話作家のミヒャエル・エンデさんが「暗闇の考古学」という本の中で次のように話しています。

ミヒャエル・エンデ「暗闇の考古学」より要約

エトガーは絵を描くとき何日間も窓もない部屋にこもって灯りもつけず、真っ暗な中でひたすらに自身のイメージの中を探求する、と。

その様子は本のタイトルにもなったように
「埋もれてしまった遺跡を掘り起こす考古学者のよう」
であったと。

絵画と小説、という異なる分野でのことですがイメージを形にするという、共通した作業の本質が
それぞれの作家で言葉は違うけれどどちらも自身の内面に光をあて、掘り起こすことで得られるのだということを示唆していて面白いなと思いました。

いま、僕はあらためて文章を書く、ということに向き合ってみようと思ってここへ来ました。
ものを書くということについてはオーストリアの詩人、ライナー・マリア・リルケの次の言葉が刺さります。

ライナー・マリア・リルケ 「若き詩人への手紙 若き女性への手紙」より

何よりもまず、あなたの夜の最も静かな時刻に、自分自身に尋ねてご覧なさい。私は書かなければならないかと。

さて
己の内なる暗闇に光を当て鉱脈が見えるのか
そして掘り起こしてみて何かが出てくるのか
答えは続けてみないと見えてこないのでしょうね。

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