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【キングダム】側近まとめ

傑物達の配下には必ず居る、彼らを支える側近達
そんな側近には時折かっこいい呼び名を持つチーム感強めの人達がいます。“四天王” “十傑”などなど、今回はそんな呼称をまとめて行きます

廉頗四天王

趙三大天の廉頗を支える幹部四名
廉頗四天王は、廉頗と共に所属国を変えていくことから、廉頗をとても慕っている。また廉頗は、戦いの前に部下たちと武運を祈るという意味を込めて熱い抱擁を交わす儀式を行う。
四天王との固い絆が描かれているシーンでとても印象的に残りますよね。

介子坊

廉頗四天王〝筆頭〟大柄な体躯が特徴。長柄斧矛を振り回し敵を薙ぎ払う。
変則的な戦い方を苦手とするも、正面からのぶつかり合いでは廉頗に匹敵するほどの力を持ち単独でも百勝は挙げている豪傑。
配下に巨漢ばかりの精鋭部隊を所有している。

姜燕

〝中華十弓〟の一人。かつて小国の雄として廉頗と五分に渡り合った。国亡き後廉頗に仕えた。攻め重視の戦い方を得意とする武将で、矢は常人の何倍もの飛距離を誇る。自ら鏑矢を飛ばすことで離れた部隊へ指示を出し、自在に操る。その攻めはかつて廉頗との戦で幾度と無く廉頗を苦しめた。

輪虎

〝廉頗の懐刀〟四天王の中で最も危険な存在と言われ、暗殺任務から大軍を率いての突撃まであらゆる役割を果たし廉頗が関わる大戦では、必ず大局を決定づける働きをする。圧倒的な突破力を持ち、かつて王騎の本陣を突破し、王騎に一太刀を浴びせた逸話を持つ。

戦争孤児であり、廉頗に拾われて最初は下人として働かされるが、武術の型を一度見ただけで会得し、自分に絡んできた武術をかじった不良たちを悉く返り討ちにするなど、武の才能を開花させた。そのため、廉頗や戦術を教えてくれた玄峰には並々ならぬ恩義を感じている。得物の曲刀は廉頗から与えられたもの故に新調を促す廉頗の助言を断り、宝のように大切に使っていた。

玄峰

かつて〝廉頗の師〟でもあった軍師。傲岸な性格で、口癖は「阿呆」。策を巡らせて、一方的に相手を殺戮する戦いを身上とする。また、武将特有の意地を持っていないため、ある程度戦果を挙げた上で少数でも敵が迫ればあっさり撤退する柔軟さを持つ。
趙にいた頃には総司令も務めていた。

藺家十傑

趙三大天藺相如。敵味方全てを掌で転がして勝つのが大将軍という考えを持ち、李牧から「智」と「勇」を兼ね備えた大戦略家と評され、持ち合わせていなかった「武」を担わせる〝藺家十傑〟と呼ばれる十将を配下にしていた。予知能力とも言える先見の明の持ち主で、生前一度だけ会った秦六将・王騎と中華について語った。

尭雲

〝藺相如の剣〟藺相如から教え込まれた知略を兼ね備えた本能型の猛将。配下に精鋭麾下軍〝雷雲〟を所有。さらにその中から、選りすぐりの十人からなる〝十槍〟がいる。

趙峩龍

〝藺相如の盾〟配下に精鋭麾下軍〝土雀〟を所有。尭雲に劣らぬ武勇を持ちながら知略で敵を討つことを好む智将。

彼らの主であった藺相如は全盛期に突如病に倒れ、病死。十人いた将のうち八人はその知らせを聞いて後を追うように殉死、今際の際に、尭雲と趙峩龍に二人にはまだ役目があると言い殉死をしないよう言い残した。生前に尭雲と趙峩龍の二人に中華についての行く末を語り、二人に対して二つの遺言を残していた。

扈輒三公

かつて燕国との戦線で猛威を振るった〝邯鄲の守護神〟の異名を持つ名将。何事においても動じることがない。部下からの信頼も厚く、配下の家臣とも信仰も深い

龍白公

雷土率いる桓騎右翼軍と対峙。乱戦の中、息子の曹還が雷土軍に捕らわれ救出に向かうも、雷土に討たれて戦死。

竜布
龍白の長兄。父と弟の曹還を助けるべく駆け付け雷土を捕らえ本陣へ連行し、〝龍白公〟の名を受け継ぐ。その後、扈輒の討死の報を受け、抵抗するも敗れ逃亡。その後赤麗の戦いに参戦して桓騎本陣に特攻するも、李信に討たれ死亡する。

龍白公と言うのは個人の本名ではなく役職のような高貴な呼称のようです。おそらく代々受け継いできており最初に出てきた龍白公にも本名が別にあるのでしょう。
他にもこれまでに、紫伯(本名は紫詠)も親の名を受け継いでいることから、この時代の中華では珍しくない事なのでしょう。

岳白公

常に微笑みを浮かべている巨漢。配下に近衛兵団「閃叫」を有する。騎馬兵を吹き飛ばす怪力と奇妙な体術の使い手。
飛信隊と対峙し、信と一騎打ちを行うも敗死。

虎白公

若輩な風貌の男。扈輒の討ち死の報せを受けると、すぐに本陣へ向かった。その後撤退する。赤麗では秦軍に特攻して死のうとするも李牧に諌められる。結局竜布とともに特攻するも生き残り、宜安の戦いに参戦する。

軍長

〝秦国六大将軍〟王騎の配下の将校。各軍数万規模で構成されておりそれぞれを指揮する将校は実質的に将軍に位置づけられる

録嗚未

〝王騎軍第一軍長〟軍内最強にして随一の激情家。
馬陽編において万極軍と交戦中に王騎の死の知らせを受けて激昂し暴走、万極軍に大打撃を与えた。
合唱軍編においては媧燐軍戦象隊に苦戦をするも指揮官を討ち、次に乱戦を生き残り、干央軍と共に媧燐軍の背後に急襲。

どんな戦局であっても覆して戦果を挙げてくれて頼りになります。
三本の束ねているあごのヒゲは王騎に寄せているのでしょうか?

隆国

〝王騎軍第二軍長〟軍内随一の智将。
王騎の最期に立ち会い、騰が王騎軍を託されたことへの証人となった。その後は、参謀の役割に就いている。合従軍編では、前線で暴れる騰に代わり、本陣で総指揮を代行。著雍編の戦後では魏国境での総指揮を任され、飛信隊と共に転戦する。礼儀作法、用兵術などに疎い信を厳しく指導している。

鱗坊

〝王騎軍第三軍長〟毒舌家。
馬陽編で、渉孟と争った。その後、王騎の死の知らせを受けると言葉を発せず、泣き崩れた。合従軍編で秦に侵攻した楚軍を氾斗平原で騰と同金とともに迎撃。函谷関攻防戦で録嗚未とともに臨武君に襲い掛かろうとするが、楚軍千人将・白麗の矢で頭部を撃ち抜かれ戦死。

干央

〝王騎軍第四軍長〟死闘を得意とし、軍の突破力は王騎軍で一二を争う。
馬陽編の序盤で馮忌軍と対峙し、馮忌を討ち取った信の名を高らかに宣言する粋な計らいを見せた。
合従軍編で、媧燐軍戦象隊に苦戦をするも堅実な攻めで撤退させ、次の乱戦を生き残り、録嗚未軍と共に媧燐軍の背後に急襲。

同金

〝王騎軍第五軍長〟
馬陽編では王騎の死の知らせを受け号泣していた。合従軍編で、秦に侵攻した楚軍を氾斗平原で騰と鱗坊とともに迎撃するが、臨武君に討たれ戦死。


一家

元野盗から六大将軍にまで上り詰めた桓騎。傘下の兵や将校達は元々はそれぞれ別の野盗団であり、桓騎がそれらを一つ一つ説得したり、潰したりしていって取り込んでいった。
独特の雰囲気を持つそれぞれの一家は、時折対立もしてますが桓騎を中心にならず者同志、馬が合うような場面も多いですね。

雷土一家

かつて桓騎が雷土とその一家を取り込もうとした時には相当苦労したほどに実力の高い集団。

黒桜一家

配下からは「姐さん」と呼び慕われる女傑。弓の名手で一流の戦術家。面食いで、部下の扱いは容姿で差がある。桓騎に惚れている。また勘が鋭く摩論曰く「いつも外さない」。料理が非常に下手で雷土曰く「生肉食った方がマシ」。

摩論一家

桓騎軍随一の智将。黒桜同様、野盗時代からの配下で自称「紳士」と呼称し、常に丁寧な口調で話すが、どこか相手を見下す慇懃無礼な性格。料理が得意。

ゼノウ一家

桓騎軍最強の武力かつ随一の獰猛さを誇り、死地にも嬉々として突っ込んでいくため、戦狂いとまで言われる。棟梁ゼノウは蒙武よりも一回り大きい体格と、野牛の首を素手で捩じ切る程の膂力の持ち主。

厘玉一家

曲者揃いの桓騎軍の中では比較的良識派。

砂鬼一家

残虐さでは桓騎軍随一とされる、砂鬼一家の首領。覆面の怪人物。拷問を好み、「砂鬼に捕まることが中華一の不運」と言われている。桓騎軍の拷問係を担当。那貴によると、砂鬼は桓騎軍最古参だと言っており、那貴が最古参の者から桓騎についての話を聞いていたが、幹部らも砂鬼については詳しい事は知らなく、真相は不明。

砂鬼一家の頭領は美人な女であることが明かされている

那貴一家

常に飄々としていて冷静沈着な性格だが、一度キレると本人曰く「雷土よりもおっかない」という。彼を含め隊員は元野盗であることから、隠密・斥候などに長けている。飛信隊の居心地の良さに惹かれ、転属する。

朱摩一家

桓騎の懐刀と言われるほどの実力者だが、登場は少なく桓騎を「お頭」ではなく「桓騎」と呼び捨てにしていることから他の幹部達ほど深い関係は無さそう。

呂氏四柱

一介の商人から臣下の最高位である相国にまで昇りつめた呂不韋
彼の実力もさる事ながら、呂不韋直属の部下である呂氏四柱は各分野で秀でた能力を持つ。

李斯

〝法の番人〟確実さを重視する生真面目な性格のため、呂不韋の考えを理解出来ず振り回されることが多かった。
呂不韋の丞相就任後真っ先に登用され、その後は呂不韋四柱として活躍する。

昌平君

〝秦軍総司令官〟蒙武とは幼馴染で親友。軍略家だが、戦場では先陣を切る文武両道の名将。幼少期は蒙武よりも強く、側近の介億には頭脳は李牧級と評される。また軍師学校を開いて軍師を育成している。

蔡沢

昭王時代の丞相であり〝秦国筆頭外交官〟として各国の交渉を担当。
燕で生まれたが身一つで遊説し、秦丞相・范雎との舌戦により丞相の席を譲り受ける。また祖国・燕でも重職に付き、呂不韋の丞相就任後はその四柱となった。

蒙武

蒙驁の子であり蒙恬・蒙毅の父。得物は大。戦闘方法は、己の武力を筆頭に士気を高めた兵で一気に押し潰す、軍師泣かせの力技。列国からは猪突猛進という評価を受けているが、兵の士気を上げるために戦を使って練兵をする等、軍への理解は深い。

以上
かなり趙国に偏ったまとめとなりましたね。趙人は呼称を付ける風習が強いのかもしれません。
〝雁門の鬼人〟〝邯鄲の守護神〟〝沈黙の狩人〟〝美姫〟といったように趙には異名を持つ者も多いのでそういった枕詞が好きなのかも。

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