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自己紹介を申し上げます。

初めまして。

一民衆🍎(Twitter)とのハンドルネームで私は日本の政治がよくなればと、仕事の合間を見つけては、SNSでの投稿や、やりとりをしています。

1990年代前半のバブル崩壊以降、日本社会は転落をし続けていると私は受け止めています。

ですが、高度成長期の恩恵の記憶がある世代はまだいいかもしれませんが、若者や子ども、そして未来の世代に閉塞してジリ貧の日本そして世界を渡すことは、どうなのかと感じ、本業で海外事情に触れることが多々あることから、世界の中から見た日本の可能性や問題提起に尽力しています。

さりとて、政治に小さな頃から関心があったわけではなく、ボーッとしながら小中高大と進みました。

しかし、1992年に政治学者の佐々木毅先生(元東大総長、宮沢喜一元首相に助言)を招聘した日本政治を考える講演会を私が運営参加していた学生サークルで開催し、「もうサンタクロースの役割を政治家に求めることはできない時代に変わる」と佐々木先生が語られたとき、私は何かスイッチが入った気がしました。

2003年に長年の仲間が都内の市議選に新人として立候補し、しかし下馬評では泡沫候補扱いされ、「見殺しにできない」と私は選挙戦略の立案と実行を担当しました。幸いに結果、上位当選し、今や同市議会の名物議員の一人になられています。

2003年から数年間、東京財団にてマニフェスト研究会が開かれ、研究員として私も参加しました。当時はまだマニフェストがイギリスから日本に輸入されて間もない時で、北川正恭元三重県知事や、選挙プランナーの三浦博史さんらを講師にお招きしてマニフェストとは何かを議論し、同会の成果物に解説コラムを私は多数執筆しました。ローカル・マニフェスト推進ネットワークにも参加しました。

2009年総選挙は政権交代が争点となり、私が身を置くNPO業界でも多くの人々が民主党を応援しました。民主党が単独過半数となり、私も高揚感をもっていました。

しかし、2011年に東日本大震災そして原発事故があり、当時の報道から私は民主党に不信感を持ってしまいました。今にして思えば、それは妥当でなかったと思えるのですが、当時は「もういかん」と感じてしまいました。

2011年春に統一地方選挙があり、仲間が都内のある区から無所属で立候補することとなり、ないない尽くしの陣営でしたが、私は事務局長の役割を担って、必死に闘いました。地方議会でも政党に属さないと当選や議会活動が困難となった小選挙区制時代において無所属で東京23区で闘うのは難易度が高すぎており、下馬評では絶対落選と見られていました。

しかし、「民主にも、自民にも不満を持つ人たちの受け皿になる」という選挙戦略を考え、地域密着の活動を日夜必死にしたところ、幸いに上位当選をしました。開票場の体育館で深夜に票数が読み上げられると、どの陣営も意外で驚いたのか、「おおー!!」との声が響き渡りました。その後も改選を重ね、やはり名物議員の一人になっておられます。

2011年から民主不信を私も続け、旧民主民進の迷走に失望を続けていたのですが、2017年秋に枝野幸男議員が立憲民主党を一人で立ち上げると知った時、全身に電撃が走ったのを感じました。結党宣言の記者会見の数日前に、枝野事務所に初めてメールを送り、総選挙のマニフェスト案をご提案しました。お返事はありませんでしたが、その後のマニフェストを拝見すると、いくつか提案の項目が入っていたように受け止めました。

小池騒動で排除された本物たちが創った立憲民主党。「枝野立て」「枝野フェス」のボルテージは、バブル崩壊後の過去30年間の日本政治で見たことがないものでした。私も必死に日夜応援しました。

2000年代半ばあたりから、私はNPOやNGOのイベントで社会運動に触れる機会が増え、青山のピースパレードに一人参加して歩きました。そして2015年安保法制では「SEALDsの若者たちを見殺しにできない」と勝手に思い、国会前等での集会に参加しました。安保法制採決の夜の集会は徹夜になり、翌朝の解散まで国会前に私もいました。福山哲郎議員らが国会前の私たちに演説された姿も覚えています。

2002年秋に短期留学したときにアメリカ(当時ブッシュJr.政権)で「また民主党政権になるだろうか」と現地の人に聞いたら「あと100年ないね」と冷笑されましたが、オバマ政権は8年続き、トランプ政権の強権主義で民主主義が侵されたものの、Black Lives Matter運動等でアメリカの人々は民主主義の回復に壮絶に力を尽くし、バイデン政権誕生という結果を出しました。

立憲民主党が2020年に合流新党となっても、まだまだ党員数や、地方議員の方々の数は、巨大与党に対して不足しているのは誰の目にも明らかです。

2018年秋の#有楽町アゲインにて枝野代表が「政権構想よりも社会構想」と演説され、大変触発され、立憲パートナーズ社会構想研究会(社構研、非公式)の呼びかけをしました。幸い多くの市民の方々がご一緒くださり、2019年参院選そして2021年衆院選での政策提言に私たちは汗を流しています。

シュンペーターが説いたイノベーション(新結合)は、たった一人や少人数の手から生まれても、広範に広がり、社会の進歩に貢献してきました。

社会を単位としたイノベーションであって、社会課題の解決を目指すソーシャル・イノベーションの一専門家として、そして何よりも、一民衆として、今後も日本の民主主義の回復と発展への貢献に、微力ながら尽力したく存じます。

以下は過去の選挙の学びをまとめたものです。野党共闘では選挙ノウハウの毎回の蓄積がされにくかったのが課題と私は考えてきました。ご参考になれば、幸いです。


2018年新潟県知事選の振り返りです。やや内容が古いですが、川上戦略等は今も普遍的に通じると思います。


「日本の選挙の教科書に残る」とされた2019年埼玉県知事選です。下馬評ではトリプルスコアの差とされましたが、投票日当日に逆転した事例です。


2021年広島再選挙は、圧倒的に自公有利との下馬評で、空前に苦しい選挙になりましたが、野党共闘が勝利しました。セカンドフォロワーとしてネットで矢面に私も立ち続けましたが、その現場で見たり感じたことや、勝因等を分析しています。


2021年7月の兵庫県知事選挙は、2019年埼玉県知事選とやや似た構図とも解せました。しかし県民党を掲げても負けてしまい、その敗因を振り返りました。


そして、政治的には無名だった山中竹春さんが圧勝した横浜市長選挙2021の本質を探究したのが下記です。


私のnoteを報道機関や辣腕選挙プランナーの方々もご覧になっていると知り、さらには、選挙に入った市民の方々が参考にされているとも知りました。大変、名誉に思います。

日本の民主主義の進化への一つの貢献になれば、この上ありません。

今後とも、よろしくお願い申し上げます。

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