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第三十五話

 遠くで開く花火の音を聞きながら、広がる宙に散らばる星を見ていた。背中のブルーシート越しに固いコンクリートの感触が冷たく、頭は冴えている。仰向けに寝そべってしまえば、昼間見た屋上の高いフェンスは視界に入らず、雲の無い夜空は自分のぐるりを取り巻き、深い暗闇の底にいる様な感覚に陥る。きっとあの闇の向こうに世界はある。

 有馬は、自分だけが起きていることに気付いた。
 和二郎らが日頃の疲労が蓄積してすぐに爆睡し始めたことは知れていた。正一郎に至っては尻の上の帯が腰に優しくいつもより熟睡している様だ。しかしこの非日常な状態で、襟人までもがスヤスヤと寝息を立てているのは少し驚きだった。

 正一郎の端末に魑之らしきモノが現れた後、魑之本人も爽とリンクして以来眠り続けている。魑之の元で働き始めてから数多の非日常を経験し、不可思議な出来事に遭遇してきたが、まだキザシは無い。便りが無いのは元気な証拠なのか、それほど危ない橋を渡っているのだろうか。有馬はむくりと体を起こし、自分以外に起きている者はいないかと沖崎医師を探した。彼は自身の患者である聖名の隣に腰を下ろし首を垂れている。驚いたことに彼までもが眠ってしまっている様だった。魑之に遠隔同衾されている爽と眠り続ける聖名に変化は無く、打ち上がる花火と風に乗って流れてくる少しの火薬の匂いに、有馬の感じる違和感は徐々に高まっていった。

 今何故またこの場所なのか。事ある毎にこの場所が関わってくる。爽が通った中学校であり、事故現場であり、一年近くも共物質が野晒しになっていた場所だ。飛び降りた女子生徒はこの場所に縛られながら、ずっと爽の魂の糸を引いていた。そんな場所に家族総出で空を仰いで呑気に花火を鑑賞している。同じ場所で起きている出来事のギャップに軽く眩暈がする。屋上に寝そべる彼らは、目覚めさせるべき者に同調して眠りに引き込まれてしまった。揃って浴衣まで着ておいて本末転倒もいいところだ。

 しかし、同じ夢を見ていた彼らなら、たった今も同じ夢の中にいて、聖名を探しているのではなかろうか。そもそも夢の内と外で同時にアプローチをすることで、聖名を覚醒に導けないかという試みだ。その内と外の人数が多少予定と違っても効果にはさほど影響しないかも、born to be 楽天家オプティミストな有馬はそう思う。

 夢を見ている時、何かの拍子に「あ、これって夢かも」と気付くことがある。事故によって意識を消失したとしても、夢の中で自分の状況を把握することによって「起きなくては」という意識を発生させることが出来るかもしれない。

 打ち上げ花火はクライマックスを迎え、大玉の連続に会場の歓声が聞こえてきたその時、暗闇に電子音が響いた。誰かの携帯が鳴動しているのだ。有馬はその震源地を正一郎の腹帯の中と特定し、素早く取り出すと光る液晶をタップした。

 正一郎の右手人差し指を画面に押し付け通話ボタンを押す。

 「準備出来たぜ〜。」

 聞き覚えのある声だったが、そこは特に追求することを止めた。父のプライベート携帯番号を知っている相手であれば特に問題はないだろうと、有馬はそのまま父親のふりをすることにして相槌を打つ。暫くすると校庭側のフェンスが振動し始め、明らかに何か巨大なものが迫り上がってくる予感があった。予感と共に有馬の頸の毛がざわざわと逆立つ。有馬は立ち上がってそれに備えた。

 フェンス越しに矢の様な速さで狼煙が打ち上がる。幾つも連なって捻れ、螺旋を描きながら夜空を駆け上がっていくそれは、彗星の様に尾を引いて爆ぜた。その瞬間、敷地内の校庭と校舎が昼日中の灯りに照らされ、放物線の頂点で夜空に咲いた巨大な紅菊の真下に有馬たちがいた。開花に遅れて音が腹に落ちてくる。その衝撃に、眠っていたはずの正一郎が奇声と共に飛び起き、有馬の肩を掴んだ。
 
 「何だ今の!?どうなってる!?」

 その声を遮って、また白煙が幾つも二人の目の前を駆け上がってゆく。二つの口はあんぐりと開いたまま四つの目は白煙の先を追い、またもや彼らの真上で今度は巨大な黄牡丹が開花した。紅菊より大きな花の落とす衝撃に正一郎は堪らず膝を折り両手で耳を塞いだ。眠っていたはずの家族たちが次々に目を覚まし、訳が分からず呆然とその花火を見つめていた。脳は覚醒しているが理解が追い付かない混乱した状態。「自分は混乱している」と自覚する間も無く成す術も無く身を委ねるしかない状態。これこそが寝起きドッキリであった。

 「あっつ、ああっつ!熱っ!!」

 信じ難いことに火の粉が降ってきた。その一粒が無精髭を焦がし、熱さのあまり飛び起きた和二郎はきょろきょろと辺りを見回し、混乱して涙を流した。

 「あのヤロー」

 正一郎は鬼の形相でフェンスにしがみ付き校庭の様子を確認しようと階下を見下ろしたが、フェンスと外壁に距離があり覗き込むことは出来なかった。彼の舌打ちを聞いていたのか、携帯が鳴動する。

『ヤッホー、ビックリした?』
「てめー聞いてねえぞ、限度ってもんが」
『駄目だよ、まだ正気に戻っちゃ。これからラスボスなんだから〜』
「は!?何言って」
『行くぞ〜大玉〜〜』

 有馬の頸の毛が、先刻よりも激しく逆立った。

『サターン!!』

 発射された白煙は光を纏って、螺旋状に高速回転しながら宙を穿った。辺りに禍々しい紫紺の輪が広がり、細い光が四方に散ってまるで文字や模様のように輪の中に広がると、輪の中央にもう一つ打ち込まれた星が爆誕した。家族たちは頭上に現れた土星を見上げて、最早花火大会などというお気楽なイベントでは無くなったことを悟った。

 

 

 

 

 

 




序〜第三話、はてなブログからの転載です。