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「(K)not」第四十話

 毎年この時期、中高一貫のミッションスクールに通っていた僕は待降節の準備で大忙しだった。それなのに今年は試験勉強に忙しい。ようやく脚の筋力が戻り、外を出歩けるようになって来たというのに、と僕が切ない溜め息を吐いていると、爽が「家族には内緒で二人だけで出掛けたい」と誘ってきた。何だろう、なんかドキドキしちゃうな。

 当日の空は低く薄曇りで、今にも降り出しそうな雪の気配に完全防寒で家を出る。爽とは駅の近くのカフェで待ち合わせていた。駅までの道の途中、寒いはずなのにマフラーに埋めた顔が火照った。逸る気持ちにつられて足早にカフェに入ろうとすると、店内にいるとばかり思っていた爽はなぜかカフェの外に立っていた。カフェで待ち合わせしたのに、自販機で買ったホットの缶コーヒーを両手で握り締め暖を取っている。なんなのこの子、馬鹿なの?
 
 相変わらず爽は人がいっぱい居るところに入りたくないらしい。まあ、12月の週末ともなればどこも混雑するのはわかっていたけど、初っ端そんなんで今日一日やっていけるのか不安になる。小腹が減っていた僕はクリスマスブレンドのカフェミストとクランベリーブリスバーをテイクアウトすることにした。最寄駅から三つ目の駅で乗り換え、そのあとはひたすら北上する。爽に付いて行くままに乗った車両は空いていて、どうやら郊外まで行くみたい。ちょっとした旅行気分で向かい合わせのシートに二人で腰掛ける。ちょっと冷めたカフェミストのフォームミルクを舐めていたら電車が動き出した。

 しばらくすると、窓の外に粉雪が舞い始めた。駅に付いたら傘を買わなきゃね、と話しかけると、なんだか爽は心ここに在らずという感じで、手摺に頬杖を付いている。マフラーを取った首筋に掛かる髪を鬱陶しそうに払う爽の仕草を見て、僕の目が覚めてからもう3ヶ月以上も経ったのかと指折り数えた。白い車窓の景色と共に、夏の記憶も遠ざかって行く。まあいいさ、今日は時間がゆっくり進む。久しぶりに一緒に居られる。そのうち他愛無い話が始まって笑い合い、お互い近況なんかを話し出すんだ。

 爽はいま高校一年生からやり直している。わじさんと二人で学校に脚を運んで校長先生たちとよく話し合って決めたみたいだ。イレイノソチなんだって、意味はよく分からないけど。二学期から一年生クラスへ編入して、授業の後に毎日一学期の補習を受けて、学校から帰る頃にはすっかり暗くなっていると言う。僕と同じであんまり勉強が得意でない爽は今すごく頑張っている。でも毎日がジュージツしているんだって。

 そんな勉強で忙しいはずの爽に友達ができたみたい。

 クラスメイトのことを話す時、表情がクルクルと変わる。瞳が輝く。そして時々思い出したようにクスクス笑う。爽の様子を見ると学校生活を心から楽しんでいるのが分かる。分かるケド何だこの複雑な気持ち。

 だってさ、たとえ僕が二年生から復学出来たとしても所詮他校だし、このままではきっとその同じ学校の誰かにとられてしまう。そう思うと僕のヤキモチは爆発寸前まで膨らんだ。爽に追い付くには、僕は何とかして高校の単位を取得しなくてはならない。毎日えりりんが勉強を教えてくれるけど、僕は学校の勉強がキライなので正直リハビリよりツラい。

 僕が日常生活に支障がないくらいの筋力がついて、無事に退院できたのはつい先月のことだった。たった一年寝たきりだったからってまさか自分の体がこんなにポンコツになっているだなんて思わなかった。リハビリは頭で考えたプログラムを手足に実行させる訓練。カウンセリングでは眠っている間の夢なんだか現実なんだか記憶を整理している。それでいて内臓はまるで問題無く食欲は旺盛だ。味気無い病院食に飽き飽きしていたから、退院して一番嬉しかったのは、うちのご飯が美味しかったことかな。

 だから退院してからも定期的に通院は必要で、今僕は自宅で通信制の授業を受けながら自宅でもできる筋力トレーニングを続け、週一でリハビリに通う生活を送っている。理学療法士の先生とのリハビリの後、カウンセリングと診察を沖崎先生が担当してくれて、何かと相談に乗ってくれる。この人のノリの良さはだいぶ分かってきたつもりだけれど、冗談なのか真面目なのか、乗ってくるのが相談だけじゃないから時々対応に困る。

 そんなことを話すうち、僕らが乗った電車はもうだいぶ遠くまで来た。粉雪はだんだん膨らんであっという間に積もってしまい、窓もその向こうに流れる景色ももう真っ白だった。僕と爽は銀河鉄道の夜のジョバンニとカムパネルラの様に向かい合って、一体何処まで行くのだろう。別に電車を降りなくてもいい。このまま何処かにいかなくてもいい。ずっと二人でこのままでも。

 不意に爽がコートのポケットを探り、スマホの液晶を見つめてハッとする。停車したホームの駅名を見て爽は慌てて「降りるよ」と言い、鞄を抱えた。爽が僕の手を掴んで引っ張って、ドアは僕の背中ギリギリで閉まった。

「ごめん。大丈夫だった?」

 申し訳なさそうに僕の顔を覗き込む。ちょっと可愛いから許す。

 大きいサイズのジャンプ式ビニール傘を一本買って、二人で一緒に入る。相合傘だなんて思われるかもしれないけど、爽が僕の手を引くのに傘があっては邪魔だからだ。人通りは少なくて向かう路には足跡ひとつ無い。防寒の為だとロングブーツを履いて来て良かった、爽の踝まで隠れるショートブーツは小学生の頃から履き続けているやつだ。こいつは一体どれだけ足のサイズが変わっていないのか。

 真っ白な少し傾斜のある路を慎重に歩いてゆく。踏みしめた雪の感覚はなんだかとっても懐かしい感じがした。

「どこへ行くか聞かないの?」

 ふと、雪に掻き消されてしまうくらい小さな声で爽が言った。

「どこでもいいもん。」

 僕が答えると、爽はちょっと驚いたように脚を止めて聞いた。

「お墓でも?」

 僕の手を握る爽の手が少し冷たくなっていた。行き先は「ゆり」のお墓だった。場所は中学の担任だった志水先生に聞いたそうだ。

 散々爽を苦しめて、僕の時間を奪って、僕のお父さんをガリガリに痩せるまで悲しませた。正直、お墓に行ったってあのはいないと思うけど。

「どんとこい。」

 そう言ってわざと下品に中指を立てると、爽は少し驚いた目をして、そして黙って頷いた。そしてマフラーに顔を埋めてまた歩き出す。また熱を持ち始めた爽の手を僕は強く握り返す。

 そうやって、ゆっくりゆっくり進んで、雪で視界がぼやける中ようやく小さな霊園に到着した。
 
 「ゆり」のお墓は簡素な十字架の形をしていた。そうか、あの娘はクリスチャンだったのか。なんだかもっと色んな感情が起こると思ってたけど、墓前に立つと、それまでの彼女への憎しみも哀れみも萎んでしまった。まるで、僕の中にも雪が静かに降って来て、濁った色の気持ちを白く覆い隠してしまったみたいに。

 僕は君を許すことはできないけど、君のために祈ることはできる。今なら。

 アーメン。

 供える花も何も無い。爽は雪が積もっている芝の上に跪いた。僕は後ろで爽に傘を差し掛けながら、その小さい肩や髪に雪が舞い落ちては消えていくのを見ていた。胸の前で手を組んで僕に聞こえる声でゆっくり、ポツリポツリと、爽はあの娘に話し始めた。


 

序〜第三話、はてなブログからの転載です。