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ONE JAPAN5周年記念対談~これまでとこれから~ #5 松坂俊&大川陽介&須藤奈応

大企業の若手・中堅社員を中心とした企業内有志団体が集う実践コミュニティ「ONE JAPAN」は2021年9月で5周年を迎えました。現在では55社3000人が集うまでに拡大したONE JAPANですが、世の中に、「挑戦の文化をつくる」ための活動は日々続きます。ONE JAPANに深く関わるメンバーに、ONE JAPANのこれまでとこれからについて、それぞれの想いを聞きました。
5回目の最終回は、かつてONE JAPANで中心メンバーとして活躍し、今は卒業や一旦別のチャレンジをしている3名だから見えるONE JAPANの姿に迫ります。

組織を変えたい!メーカーの若手社員の驚きの熱量―ONE JAPAN時代のエピソード

ーみなさんのプロフィール紹介を兼ねて、現在の仕事について教えてください。

松坂:私がONE JAPANの幹事として活動したのは2017〜2020年です。その間、4年前にマレーシアに渡りマッキャンエリクソンに所属しながら2018年に教育系スタートアップのトイエイトを起業しました。トイエイトは起業初期からマッキャンエリクソンと協業を行い共に成長出来る道を探っています。トイエイトでは、テクノロジーを使って“子供の才能や発達段階を可視化する”サービスなどを東南アジア向けに提供しています。今後もマッキャンエリクソンとのさまざまな形での協業しているところです。

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【松坂俊】トイエイト 創業者/CCO マッキャンマレーシア クリエイティブ ディレクター
2008年、マッキャンエリクソンに入社。2015年、マッキャン・ワールドグループ国内外の1980年~2000年代前半生まれのメンバーで構成されるユニット「マッキャン・ミレニアルズ」を立ち上げる。2016年、ONE JAPANに参加しクリエイティブ担当幹事に就任。2017年、マレーシアと日本の2拠点生活を開始。2018年より「すべての子どもが才能を発揮できる世界をつくる」をミッションに掲げエドテックベスタートアップ、トイエイトを創業。

大川:私はONE JAPANで活動していた当時に働いていた富士ゼロックスを退社し、今はローンディールという会社で働いています。ローンディールでは、大企業で働く人にスタートアップで“武者修行”してもらい、そこで目覚めた人々が起点となって大企業変革を起こすという「企業間レンタル移籍」を提供しています。ONE JAPANを卒業後、今は事業として、大企業の人々が会社を辞めることなく外に出て挑戦できる機会をつくっています。

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【大川陽介】株式会社ローンディール 最高顧客責任者 ONEJAPAN共同発起人/元副代表
2005年、富士ゼロックスへ入社。SE、営業、コンサル等を経て、大企業やベンチャーとの共創活動を推進。2016年、「ONE JAPAN」を共同設立し、挑戦する個人の覚醒、組織風土変革、オープンイノベーションによる価値共創に挑む。現在は、「日本的な人材の流動化」をミッションとし、「企業間レンタル移籍」を提供する株式会社ローンディールへ参画。自身のWILLである「発掘/覚醒/結合によって個と組織の生命活動を紡ぐ」活動に没入中。

須藤:私は、ONE JAPANに参加していた当時と同じく今も日本取引所グループの社員ですが、2019年に夫が留学することになったのをきっかけに会社の帯同者休業制度を活用し渡米しました。

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【須藤奈応】一般財団法人社会変革推進財団リサーチフェロー/日本取引所グループ 総合企画部 課長
2005年に東京証券取引所(現日本取引所グループ)に入社。上場会社の適時開示サポートに関する業務に従事。ペンシルベニア大学ウォートンスクール在学中に、インパクト投資を専門とする機関でインターンをし、ソーシャルファイナンスの世界に関心を持つ。MBA取得後は総合企画部にて新規事業開発及び社内起業制度に係る企画に従事。ONE JAPANのソーシャルインパクト/ダイバーシティ担当幹事。現在はアメリカにてインパクト投資に関する調査研究に従事。2021年秋、日経文庫より「インパクト投資入門」を出版予定。

事業開発や経営企画部門にいたので渡米後はあらためて事業開発について学びたいと考え、スタンフォードの社会人向け1年のパートタイムプログラムを修了。その後、夫がヒューストン駐在になったため、3年間使える帯同者休業制度をフル活用しヒューストンにいます。

ヒューストンでは、会社の了承を得て「インパクト投資の普及促進活動」をやっています。休業前からインパクト投資の調査・研究活動を続けてきたのですが、今はインパクト投資の普及にあたる日本財団の関連機関である社会変革推進財団から個人として仕事を受託したりするなどの活動をしています。

日本におけるインパクト投資のエコシステム構築のために海外の投資家インタビューをしたり、サスティナビリティをテーマに事業をしている経営者にインタビューし英語でポッドキャストで配信(RESET mindset)したり、今年の1月からは仲間と共に海外のインパクト投資情報を日本の事業会社、投資家向けに届けるニュースレターImpactShareを始めました。近々「インパクト投資入門」の新書を日経文庫から発行する予定です。

松坂:すごいね!
大川:ヒューストンでも精力的に活動してるなぁ!

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ーそれぞれのお立場でご活躍中の今、有志団体を立ち上げONE JAPANと出会った頃を振り返って思い出されることはどんなことでしょうか。

大川:30歳頃といえば、「飲みに行っては会社組織や上司に関する愚痴をこぼしている自分」ってくだらないなと思っていました。「他責」ではなく「自責」で仕事も人生も楽しくするにはどうしたらいいのか考え、立ち上げたのが有志団体「秘密結社わるだ組」でした。

気の合う先輩に加えて、「組織を変えたい」と内に秘めたモヤモヤを抱えていそうな社内のちょっと“変わった人々”に声をかけて10人弱でスタートしました。1年ほど経った頃、パナソニックでも同じようなことをやっていると知り、交流が始まったんです。驚いたのが、土曜日開催の交流会に15人ほどが自腹で大阪から参加しに来るんですよ。パナソニックの人々のこの熱量に触れ、「この活動は自分が考える以上に価値があることかもしれない」と感じたのを思い出します。当時、パナソニックの若手社員の課題感は富士ゼロックスの僕たちとまったく同じで、「これ一緒に解決したら面白いんじゃない?」とワクワクした記憶があります。

松坂:私の場合は外資系だからか、「大企業の閉塞感」や、会社や上司への不満はそれほど感じることはありませんでした。ただ、マネジメント層と話をする機会があり、若手社員とマネジメント層の間にある溝は問題だと感じていました。若手とマネジメント層の橋渡しをするような機能があれば、お互いウィンウィンの関係になれそうだなと思い、その機能として有志団体「マッキャンミレニアルズ」を立ち上げました。

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須藤:私がONE JAPANに興味を持ったのは、事業開発に携わっている多様な業界の若手社員が参加していると聞いたからです。当時、新規事業開発の仕事で悩んでいたんですよね。結果、ONE JAPANで知り合った人々を巻き込み、日本取引所グループとNTTドコモとでハッカソン開催につなげたこともあります。

大企業の若手社員から甘えが消え”リスクテイカー”に成長―今のONE JAPANに思うこと

ー今のONE JAPANを外から眺めて変化を感じますか?

松坂:僕と須藤さんは会社に籍を置いていますが、当時の幹事メンバーにも転職している人は何人かいますからね。大企業にイノベーションを起こすために外に出たら、転職せずにはいられなくなるのか……。

大川:そこは僕はポジティブに捉えているんだよね。発足当時のONE JAPANって、「大手企業の若手だけが集まって勉強会なんて甘えたことやってるな」という意見が、社内外で結構あったんです。それが、ONE JAPANに参加した人の流動化が進むことによって、大企業を飛び出して活躍する人も出てきた。“リスクテイカーの集まり”ONE JAPANとして、いい意味で世間の評判を裏切ることができたのではないかな、と思っています。

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須藤:当時「会社の外に出ても大企業30人が集まれば結局、大企業病に陥る」とよく耳にしたんですが、今のONE JAPANの人材の流動化をみると、いいバランスでリスクを取る人が増えているのかなと感じます。

松坂:大川さんは3人の中で唯一、転職されていますが、富士ゼロックスを辞めるとき葛藤はなかったんですか?

大川めちゃくちゃあったよ!かつては富士ゼロックスに対する強い愛着から、「流動化、人材流出はあってはならないことだ」と思っていたしね。その頃は、自分の志は「知の創造と活用をすすめる環境の構築」だと言い切っていました。富士ゼロックスのミッションと完全に同化してたわけです。でもふと、「明日、富士ゼロックスという会社がなくなっても、コピー機売るかな?」と考えたら、「いや、売らないな」という答えに行き着いたんです。そこからが苦しかった。「じゃあ、俺は何をしたいんだ」と悩み始めたんです。

会社以外のコミュニティであるONE JAPANで、とにかく興味があったら何にでも挑戦してみようと3年間、動き回りました。そうしたら自分がやりたいことの輪郭が浮かび上がってきました。そこで初めて、自分の志と会社の志を重ね合わせてみたんです。そうすると重なる部分と重ならない部分がでてきた。自分の志と会社のミッションを同一化させたままだったら、会社を辞めるという選択肢はなかったと思います。

松坂:ONE JAPANの活動を通して気づけたわけですね。僕は、ONE JAPANで新規事業開発に関わる人々に刺激を受けたことが、マレーシアでの起業につながっていると思います。当時、富士ゼロックスの大川さんが手掛けていたロボットSIRO-MARUを使ってマインドフルネスで創造性を引き出すプロジェクトや、三越伊勢丹、パナソニックなど多様な新規授業に関わらせてもらいました。そのうち「自分がやるなら新規事業創出はどんな形になるだろう」と考えるようになり、マッキャンエリクソンのメリットにもなるスキームを考えて、挑戦してみようと踏み出しました。ONE JAPANに参加するまでは新規事業開発分野とはまったく縁がなかったので、ONE JAPANがなければ今頃は別の未来に立っていたでしょう。

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大川:誤解して欲しくないのが、「転職はいいよ!」と手放しで勧めているわけではないということ。ただ、会社組織や上司への不満いっぱい、嫌だ嫌だと言いながら働き続けるより、求められているところで活躍するほうが自分にとっても会社にとっても健全ですよね。

僕の場合、富士ゼロックスを辞めることでONE JAPANも含め、積み重ねてきた色々なものを手放す不安は大きいものでした。ただ、手放したことで、何でもやれる真っ白なフィールドが目の前にあらわれました。リスク取った分、次のステージの魅力も大きかった。一方で、大企業はベンチャーと比べて、一番おいしくリスクを取れる環境でもあると言えると思うんだよね。須藤さん、どう思う?

須藤:大企業の中だけにいると、1日の大部分をそこで過ごしているわけですから、その文化に染まっていくのは仕方ないかもしれないですね。物理的に今、アメリカと日本で距離が離れて俯瞰して見えるものがあって、日本にいたときよりその同質性を感じます。日本という国の一企業に過ぎないのに、自分にとってはそこが世界の中心、もっというと自分の居場所はここにしかないと思ってしまう気がします。そうではなく、自分が何をしたいか、どう生きたいかが大事。会社という組織は、それを実現するための手段の1つでしかない。そんな風に思っていたつもりでも、日常の仕事に追われているとその感覚が薄くなってしまうのかなと思います。

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大川自分が何をしたいのか明確にするには、いろいろとはみ出さないと答えに到達できないのかもしれません。一方で、最近のONE JAPANは大きくなってきたのもあって、オペレーショナル・エクセレンスという大企業の圧倒的な強みが最大限生かされているなと感じます。カンファレンスやいろんなプロジェクトに、あれだけ多くのメンバーが熱量をもって取組んでいることや、そのクオリティの高さがそれを表していると思います。私は、「個人が意志を持って願いを実現していくこと」が当たり前の世界になると信じているのですが、そうなったとき、リソースや伝統といった大企業だからこそ持っている武器を使わずに、なし崩し的に変化の波にのまれてしまうと悲しい。組織と個人が同時に変化して、新たな関係性をつくっていくのが理想的だと考えています。


挑戦を日常にする環境が志を強くする―ONE JAPANの「これから」


ーこれからのONE JAPANに期待することは?

須藤:ONE JAPANでは、新しいことをやろうかどうしようか「悩んでいるんだよね」とポツリと口にすると「やりなよ!応援するよ!」と言ってくれて、それが当時、心の支えだったんですよね。大好きなこのONE JAPANの風土は、続いていって欲しいなと思います。

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大川:このONE JAPANの風土は、挑戦を日常にしてくれました。僕はONE JAPANと出会うまで、中学受験から大学入って、大企業に勤め……と日本の多くの親が進んで欲しいと思うようなレールの上を走ってきました。だから、そのレールを外れてしまうかもしれない危険を伴う挑戦は、人生に1度やるかやらないかの大きなことという認識でした。でもONE JAPANでは挑戦があたり前で、周囲のみんなもどんどん挑戦している環境だったから、いつの間にか挑戦は日常になっていました。今では挑戦は構えるものではなく、自然と体が動くものになっています。

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松坂:ONE JAPANの挑戦の文化にどっぷり浸り、先進的な考え方の人々の言葉に浸り、そのおかげで、大企業に残って起業までさせてもらえました。大企業で若手の挑戦を応援する空気を作ってもらえた事に感謝しつつ、変わらず、挑戦の文化を根付かせていって欲しいと心から思います。

須藤モヤモヤを共有し、自分らしくいられる場が私にとってのONE JAPAN。まわりの人たちの顔色をうかがいつつ、「ここは言わないでおこう」というように空気を読んで行動することは会社員である以上、誰もが経験することだと思います。そういう忖度がなく、お互い思ったことを言い合える、自分の考えややりたいことを共有できる仲間がONE JAPANにいる。志でつながるネットワークであり続けて欲しいですね。

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ー終始和やかな対談となりましたが、信頼で結ばれたお三方のONE JAPANへの想いがたくさん聞けた時間でした。ありがとうございました。

構成:中原美絵子
インタビュアー・編集:岩田健太(東急/水曜講座)
デザイン協力:金子佳市

【ONE JAPAN公式Facebookページ】
https://www.facebook.com/one.japan.org/

【ONE JAPAN公式Twitter】
https://twitter.com/ONEJAPAN_2016

#ONE JAPAN

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