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大日本名将鑑 西塔武蔵坊弁慶 御曹司牛若丸

明治11年(1878年)  。

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鞍馬山で修行を積んだ牛若丸は、都の五条橋で武蔵坊弁慶と出会う。弁慶は書写山や比叡山で修行を積んだ僧でありながら、千人斬りを願掛けし、通行人に戦いを挑んでいた。千人目となった牛若丸に挑むが、牛若丸は橋の欄干を軽やかに飛び移り、弁慶の攻撃をかわし続け、最終的に降伏させる。これを機に弁慶は牛若丸の家来となることを誓った。この逸話は『鬼一法眼三略巻』に描かれた(出典)。

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豊臣秀吉は1586年、東山に方広寺を建立し、約19メートルの木製大仏を造営し、大仏殿の造営に伴い、元祖・五条橋は松原橋に改名された。秀吉は参詣用の新たな橋の建設を増田長盛に命じ、これが新五条橋となる。元祖・五条橋は清水寺参拝路として清水橋や勧進橋とも呼ばれていた。

新五条橋は1589年に東山大仏殿の完成とともに架橋され、三条大橋と同様の構造で、長さ116メートル、幅7.3メートル、石造の橋脚を持ち、青銅の擬宝珠が16基設置された。(出典

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