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葡萄と匍匐

…落ち着いて聞いてください。あなたは、余命2年3か月です。
…そうですか。ちょうど30歳ですね。病名は何でしょうか。
病名はわかりません。正確に申し上げると、2年3か月後に命を失うかどうかも、わかりません。
そうでしょうね、余命はあくまでも目安ですから。でも、病名もわからないのに余命がわかるんでしょうか。
いえ、そういうことではなくて…あなたが失うのは命ではないかもしれない、ということです。
どういうことですか。
あなたは、…望むように生きる未来を失う、ということです。体、もしくは心を壊すかもしれない。結果として命を失うかもしれないし、最悪、何もできずに生き永らえてしまうかもしれません。
…わかりました。やりたいことができなくなるということですね。でも、なぜそれが2年3か月後なんでしょうか。私の寿命はそれよりも長いかもしれないし、むしろ短いかもしれない。そこに何の根拠があるんでしょうか。
根拠なんてありません。ただ、あなたは期限を決めないと、行動を起こすことができない。だらだらと寿命を消費して、全てを納得して、実質2年3か月未満の人生になるのかもしれない。いや、きっとそうです。
なんであなたにそんなこと言われなきゃいけないんですか。人を馬鹿にするのもいい加減にしてくださいよ。
いいえ。決して馬鹿になんてしていない。これは私からの処方箋です。なぜなら、私はあなたをずっと、片時も離れることなく診てきたのだから。

この4月から異動になった。
3月下旬に内示が出て、2週間弱の引継期間に必死で担当業務をまとめて、結局全部が全部はまとめきれないまま、3/31の夜、なんとかデスクを片付けた。
前の部署には2年間所属していたが、最後の最後まで迷惑をかけっぱなしだった。タスクをどんどん先延ばしにする。話し合いの内容が頭に入っていない。やってもやっても抜け漏れだらけ。抜本的な対策を考えなければ改善されないだろうとわかってはいたが、正直心の底では諦めていた。今回の異動も、グループに合っていなかったからだろうなと思った。同期で他部に異動した人は一人もいなかった。
新しい部署は、個性的でおもしろい人たちが集まっていた。いい人たちばかりで嬉しかった気持ちに嘘はない。でも仕事となると話は別である。ほとんどのことは一人でぱぱっと終わらせてしまう先輩と同じ担当となり、このパターンの未来は、2年を経た私には薄々想像がついていた。

仕事が嫌なことが悲しかった。なんだかんだ社会の歯車になって、愚痴を言いつつ歯車として回っていることに少しは充実感を覚えているだろうと、2年前の自分は思っていた。現実はグループの歯車にすらなれなかった。
嫌なこと全てが、「義務感」という塊となってのしかかってくる毎日だった。しなければならないことに雁字搦めになりながら、私はたまに泣いた。だいたいの時間は振り返れば一瞬なのに、この2年間はとても長かった。5年にも10年にも感じた。
社会人3年目になった。一般的には3年目なんてヒヨッコだと思う。それでもいいから、私はこの身動きの取れない日々から脱出したかった。もう少し頑張ったら、自信の一つはつくんじゃないのか。そうやってもう少し、もう少しを続けて、はや730日が経過していた。

幼い頃から、私は果物が好きだった。年に一度は山形にさくらんぼ狩りにいっていたし、母が桃を切っているときは、種の部分をもらって、周りについた果肉を味わっていた。
たまに食卓に葡萄が出ることもあった。小さい頃、私はその瑞々しい粒を見ながら待っていたという。そうすると、母が一粒一粒皮を剥いてくれて、その状態の葡萄を食べていた。とんだ甘やかされエピソードだが、三つ子の魂百まで、人間の根幹は変わらないのかもしれない。
両親の名誉のために言っておくと、そのあとも駄目になるほど甘やかされて育ってきたわけではない。大学時代、生活費以外のお金はアルバイトをして賄っていたし、留学費用も自分で用意した。やりたいことに対しては基本的にお好きにどうぞ、という方針で、否定されたことはないが、過剰に褒められることもなかった。
ただ、誰のせいでもなく、私が「甘え」という性質を持っているのは確かだった。表面的に行動を変えることはできるが、本質的に中身を変えることはできない。それならそれを受け入れるしかない。甘えだと言われても、やりたくないことはやりたくない。やりたいことに人生を使いたい。今日が最期の日だとしたら、私は今日やろうとしていることをするだろうか。ジョブズの言葉に私は毎日両手で耳を塞いできた。最期の日、私の両手は自由だろうか。

同期は競歩のように、ずんずん前を歩いている。匍匐前進を続けてきた私は、そろそろ心を決めるべきだろう。じりじりと後退し、今の環境にさよならを告げる。もう少し考えたら、と思われていると思うのだろう。実際に周りがそう思っているかどうかに関係なく。でも私は、「思われていると思う」方向に進む癖があった。その先に成功がある。そう思い込むことにしていた。
敢えて失敗しよう。そう思わないと、いつか私は後悔に押し潰される。あの若いとき、私はいったい何をしていただろう。体もまだまだ動いていたのに。そんなことは絶対に思いたくない。私はまだ、ぎりぎり若い。

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