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10月10日 学ぶとは真似て自分を改造していくこと

「1日1話,読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」より,能楽師の観世榮夫さんです。

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 僕が心掛けている言葉に『風姿花伝』の序にある,
「稽古は強かれ,情識はなかれとなり」
 という言葉がありましてね。
「稽古は強かれ」というのは厳格に稽古をしろという意味で,決してスパルタ式でやれということではありません。自分に厳格でなければ一歩たりとも先に進めないわけですが,それと同時に「情識はなかれとなり」と言っているわけですね。情識とは妬み心やとらわれの心です。そういう思いを戒めている。これは何でもないようなことですが,非常に重要なことなんです。
 学ぶというのは真似るに通じるものがあると思います。自分の足りないところを真似することで,その相手よりも一歩でも半歩でも先に行かなきゃ。真似た相手より手前に留まっているうちは,その相手にはかなわないということですからね。

 私はプライベートで楽器を演奏したり,過去の勤務校では吹奏楽部の顧問をしたり,そういえば今年は美術部の顧問だったり,芸術にはご縁がある。私は「芸術にゴールは無い」と思っていて,今できる最高の演奏をしたいけれど,明日はそれ以上の演奏をしたいと同時に思っている。

 以前は自分でアドリブを作ることができず,ソロパートを断ったこともある。でも,プロの演奏を実際に真似てみたり,気に入ったフレーズを部分的に真似てみたりした。一から自分で作ろうとせず,真似からはじめて,真似を少しずつ減らしていったら,アドリブに対する恐怖心が減っていった。

 また,アドリブができない私を受け入れてくれた周囲の人の存在も大きい。素敵な音で素敵なフレーズを吹く人を羨ましいと思ったことはあるけれど,妬むことはなかったし,むしろその人の練習方法を参考にした。

 そういえば,授業も。
 他の先生のやり方を真似て実際にやってみる。→生徒の反応などの「やってみた結果」をとおして学ぶ。→学んだことを,自分のやり方に上手くブレンドする。そうやって授業も少しずつ変わっていった。

 学ぶとは真似て自分を改造していくことだといっていい。それができない限り進歩はないし,面白さも美しさもないまま終わってしまうような感じがします。

変わっていくことの面白さ。
変わっていくことの美しさ。
それを味わえる人でありたいと思うのでした。

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