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職業偏見の歴史を知って開き直ろう

Uber Eats配達員って、芸人のトークでいじられたりしてませんか?売れない芸人の誰それがやってた、みたいな。

8月27日の山梨放送のラジオ『キックス』で、県内でもようやくサービスが開始されました、という話題で、髭男爵山田ルイ53世さんは、「街で歩いてたらUber Eatsのチャリを内田D(番組ディレクター)が漕いでたらどうする?」と軽いジョークを入れていました。

他にもこんなトークを聞いたことがあります。ラジオはドライバーさんによく聞かれているので、メールも読まれることが多く、女性タクシードライバーさんから

「お客さんから『(こんな仕事をしていて)事情があるんでしょう、大変ですね』と言われることがある、自分はサービス業のひとつとして誇りを持ってやっているのに」

という話があったり、トラックドライバーの男性からは、自分の仕事を親にはよく思われていない、といった失意のコメントもありました。

運送業は、売春婦と並んでおそらく最古の仕事の一つではないかと思います。そして何かと世間から蔑まれ、まるで身を持ち崩した人間のように見なされがちです。

人がどんな職業に就こうが勝手で、大きなお世話だと思います。当人が萎縮してしまうのはおかしい。こういう偏見の歴史をエンタメ作品を通じて接しておくことで、ああ、人間って、社会って、昔っからそうだったのね、と、気が楽になるのではないかと思いました。

古典落語の演目『抜け雀』

絵描きの男が描いた雀の絵に、その男の父が鳥籠を書き足した。それを見た絵描きは親不孝をしたと嘆く。なぜなら、「親父をかごかきにしてしまった」という下げです。

鳥籠を描いた、ということと、かごかき=籠を担ぐ人夫、の掛詞です。当時の職業観がわかります(面白い話なので興味があったら検索して聞いてみてください)。

映画『無法松の一生』

原作は岩下俊作の小説で、何度も映画化ドラマ化されていて、僕は1965年の三隅研次監督、勝新太郎主演のものが好きです。舞台は明治。人力車の車夫の男が、寡婦となった将校の妻に心を寄せ献身的に尽くし、しかしその身分の違いから自ら身を引く、という話です。

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パッと思いついた「運輸業を題材にした古典」を紹介しました。人々の意識は表面的には変化はしても、長年の社会風土によって培われたイメージは今も残っているのだなと思います。

仕事といえば、僕も植木職人をやっていた頃、使用人がやるような職業ということで、親の理解は得られませんでした。今は牧場従業員をやっていますが、こちらもかつては身分の低い者が就く仕事でした。

職業に貴賎はない、という言葉があるのは、実態は逆だから、戒めとして標語になっているのでしょう。額面通りに受け取るのはお人好しってなもんです。人は外形的なプロパティで勝手に価値判断をするものだし、そのことと本人の幸福度とは無関係なのだと僕は言いたいです。