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Official髭男dism『Editorial』歌詞解釈

アルバム表題曲で一曲目でありながら、あらゆる点でユニークな掌編です。電子的に加工されたアカペラが特徴的なこの曲、専門的になりますが、『MUSICA』2021年9月号のインタビューで藤原さんが語っていることをかいつまんで引用します。

2種類のソフトを使ってて、事前にそのソフトにコードを打ち込んでおいて、そのコードを走らせながら歌うと、それに引っかかってリアルタイムでこういうハモリが生まれていくんですよね。だから僕がブースで歌うと同時に、このハモリまで録音されていくんですけど。それをコントロールルームでみんなに聴いてもらいながらジャッジしていって。
歌ってても気持ちいいんですよ。歌ってたら勝手にハモがワーってついてくるから、それが本当に気持ちよくて。
今回は2種類のソフトのうち、片方は人数感をバシャっと出すヤツにしておいて、もう片方は4つの音を発音するような設定にしておいたんですけど。(合計して)10声くらいが同時にでてるっていう感じですね。
ただ声のデータを重ねているわけではない。あくまで僕がひとりで歌った声にエフェクトをかけて一緒に出しているので、人数感が不思議な感じになるんですよね。

アコースティックな暖かさとはまた違う、エレクトリックなサウンドがもたらす暖かさについては興味深く、また改めて考えてみることにして、今回は歌詞についての分析です。アルバム収録曲が全部揃った後に、それらを振り返りながら作っていったそうです。

(1A)
伝えたい だけど語れない
ずっとこの気持ちの正体を
僕は探してる
だけどよそ見ばっかしている
そっちの方が幸せだから
(2A)
飾らない だけど嘘くさい
ずっとこの矛盾の正体が心を塞いでる
だけど不自由さえ楽しんでる
そっちの方が愛おしいから
(B)
疲れが染み込んだ靴下 スニーカー
そんな足跡もちゃんと残っている
(3A)
伝えたい だけど語れない
そんなこの気持ちの後先を
ここにだけ書き記す
だけど上手く書けず喜んでる
そっちの方が幸せだから
(C)
朝日が来るように至極当然なことにも
溢れている 隠れている
思いを形にしたんだ
あなたにも受け取ってほしくて

この歌詞には下記の構造の文章が3回出てきます。

 [(a) だけど(b)(ということを)(c) している]
 [だけど (d)]
 [(なぜなら)そっちの方が(e)だから]

さらっと聞いてすんなり理解できるのに、細かく刻んで検証しようとすると分からなくなってくる、不思議な文章です。「そっちの方」を抜き出して、「そっち」とは何か、それに対して「そっちではない方」というのはあるのか、と考えてしまって沼に嵌りました。

例えば(1A)の「よそ見をすること」が「そっちの方」とすると、「そっちではない方」は「(よそ見をせずに)この気持ちの正体を探してる」ことなのかと考えて、「楽曲制作に根を詰めて深く掘っていくだけの毎日はしんどいよな、たまには息抜きも欲しいよね」みたいな意味なのかと思いました。

でもなんとなくしっくりこなくて、その理由をあれこれ考えてみたところ、「そっちの方が幸せだから」という一文が鍵だという結論に至りました。

「そっちの方」という幼い口語表現がポイントで、意味の正確さを追求するなら、「なぜならそれが幸せだから」とか「そのことこそが幸せだから」という言い回しになると思います。それを「そっちの方」と言うことで柔らかくナチュラルな感じになる。おそらく作詞の中でもスッと出てきた表現だったのではないかと思いました。

そして、「そっちの方が幸せだから」「そっちの方が愛おしいから」という結論部分は、誰かから教えられたりしたことではなく、自分の経験をもとにして改めて考えたらそういうことなんだろうな、という論評であり、だからこの曲のタイトルが『Editorial』なのだと思いました。

そのような文体を考慮して翻訳すると、
(1A)
気持ちを伝えたいが語りに落ちたくはない、そのような表現を追い求めているが、なかなか難しいものだ。だからこそやりがいがあるし楽しいのだ。
(2A)
ストレートな物言いは時として薄っぺらで嘘くさく感じてしまう。その匙加減が難しい。でもそこを創意工夫するのが面白い。

という感じでしょうか。

この曲でとても印象的な部分が(3A)で、自己言及的であること。「だけど上手く書けず喜んでる」と、制作秘話を歌詞に織り込んでしまうスペシャル感。そんなレアな飛び道具、アーティスト生涯で何度も使えるものではありません。

そして「ここにだけ書き記す」これも同様に極めて異質な一文であるという印象を受けます。その理由は、これが遂行文であるからです。

遂行文とは、実際に発言行動を起こして初めて意味を持つ文章のことです。わかりやすい例としては、選手宣誓で読み上げられる文章がそうです。「宣誓 我々はスポーツマンシップに則り、正々堂々と戦うことを誓います」というやつです。

この「宣誓 なんたらかんたら〜」という文言は、頭の中で考えているだけでは、その内容の実効性がありません。実際に公の場で発話することで、その内容が示している動作が行われたことになります。同様な例では結婚式の誓いの言葉や政治家の演説などがあります。「ここにだけ書き記す」というのは、現実に書き記すという行為を行わなければ意味を成しません。

遂行文ではない文章は記述文です。わかりやすい例では(B)がそうです。記述文は、世界のあり方を文章で表したものです。一方、遂行文は、実際に言葉を発することによって世界を生み出す行為といえます。まるで呪文を唱えるような、儀式的な発話行為です。

この曲が、藤原さん一人のアカペラによるデジタルクワイアで構成されたゴスペルになっているのはそのためです。

そもそも歌うことを前提にして書かれた歌詞は、その存在が遂行文的ではないだろうかと思ってしまいます。歌うことによって現実に生まれる世界の総てが「歌」の意義だと思いました。