写真と、言葉と、想いと。

画像1

とるに足らない印象を拾い集めて。
とるに足らない言葉を紡いで。
とるに足らない想いの欠片とする。

その先にあるだろう、「ひとつの景色」を描くために。

私が写真を撮ったり、言葉を呟いたりする理由は、これに尽きる。
これが実現できるなら、別に写真じゃなくてもいいし言葉も必要ないのかもしれません。
それでも「写真と言葉を用いた表現」をここまで続けてきた(引き延ばしてしまった)からには、何らかの形で一旦区切りをつけたいなぁと思っています。

あまり言葉で端的に表現したくはなかったのですが、どうであれそれが実現できないのであれば私のこれまでの表現も水泡に帰してしまい兼ねなので、結論から言ってしまうと。

「想いの向こうに優しい世界を見たい」

これが自分で決めたゴールなのです。
写真の中に優しさを映したい、含ませたいと時折呟いていたかもしれませんが、それはこんな目標があったからで。
まあそれにしても曖昧というか抽象的というか、そんな目標設定で始めてしまったことで、今そのツケが回ってきてるのかもしれません。
私は「誰もが自分として生きることができる世界」を優しい世界の定義としています。
優しさなんて人それぞれ捉え方が違うものだと思います。
私がこのように定義する理由はいくつかあるのですが、綴り始めるとまた終わりがなくなってしまうのでここでは省略します。

写真と言葉でこれを表現しようとしても、うまくいったことは今まで一度も無い気がします。
或いは今までの表現すべてを束ねても、これを表現し得ないとさえ思います。
すごく簡単に言葉にすると、絶望ですね。何度絶望を感じたか分かりません。。

でも幸いなことに、写真は光を捉える作業で。
その作業を通して、深い暗闇にいる時こそ、僅かな光を、希望を捉えることができるのだと。
それに気づいて、意識しながら私にとっての光を探し続けました。

そして、その微かな光を、とある被写体に見出しました。
それが「空」だったのです。

空(特に青空)はとても寛容で、どんなものも受け入れるような印象を受けます。
どんな嵐が来ても、どんな雷鳴が轟いても、どんなに暗い夜が来ても。
その後必ず、変わらないその青をたたえてそこに在る。
そんな空の在り方は、この目に映るものの中で、最も優しいのではないかと。
この気づきが、写真を撮り始めて今までで一番の収穫だったかもしれません。

ゴールへと導く印象を見つけ出すことができて。
あとはどうやって自分の想いに還元していくか。
今そんなところに自分はいるのかなぁと思っています。
写真と言葉ではなく、何か別の形になってしまうかもしれませんが。

「ひとつの景色」

何らかそのような形で表現できるまでは。
写真と言葉の表現を、もう少し続けていこうと思います。

今回、呟きの150文字では絶対に足りないだろうと思い、こちらで記事にしましたが、文字数に制限がなくとも言葉にするのはとても難しいなと感じました。
特に最近はこのような文章を作成することもほとんどなく、非常に読みにくいものになってしまったことをお詫びさせてください。

写真も言葉も覚束なく、クオリティーも安定しませんが、変わらず温かく見守っていただけたら幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?