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[エッセイ]ひまわり色のマニキュアが乾くまで

ひまわり色に塗る前は、青色だった。フットネイルも、ハンドネイルも同じ色の青。アンミカ曰く白は200色あるらしいが青は何色あるんだろう。

青色に塗ったのは、6月9日に出演したステージの衣装指定が「青とか入った爽やか系」だったからだ。東京の一等地で人目に触れるフェス出演だったので、前日に「マニキュアなんていつぶりだろう」と引っ張り出して、おぼつかない手で塗り上げた。
リハーサルの時に、いつもお洒落なヴァイオリニストの先輩姉様のサンダルから覗く、指輪のストーンと同じ色のグリーンのネイルに目を奪われたせいもある。


そんな、気合いの青色ネイルを塗ってから2週間が経ち、マニキュアは剥げてボロボロになった。
ネイルだけじゃない。私自身も思いがけず、ボロボロになった。


どうやら何かの細菌にあたって、気管支炎の診断。
高熱が出ることはほとんどなく、毎日生殺しの微熱に苦しみながら激しく痰の絡む咳と大量の鼻水と戦うこと、今日で10日目。6日目に二度目の病院で抗生剤を処方してもらってから徐々にマシにはなっているが、10日間もそんな状態であれば、社会生物である人間としてはいささかやりにくい。

熱が出たから休みます、と言っては毎日休むことになってしまう。
そもそも上司は育休中で、そう簡単に業務を放棄するわけにもいかない。日々出勤打刻をするも、昼には微熱が出るわ、激しい咳と何度も鼻をかむうちに酸欠になってきて頭は朦朧とするわ、時には38.2度まで熱が上がるわ。
会議で声が出ず他の参加者に説明を代行してもらったり、そもそも会議に出られずリカバリーしてもらったり、私とマンツーマンで仕事している後輩にはチャットの指示で随分動き回ってもらった。
仕事にならなくては仕方ないので退勤の打刻をして休養するうち、1週間の勤怠はボロボロの歯抜け状態になってしまった。スーパーフレックス制度の幸か不幸か。
つまりだいぶ大迷惑をかけながら過ごした。

そもそも6月は、副業をたくさん受注していたり大きなライブがあったりして、「試練の6月だ!」と意気込んでいたのだった。5月31日の時点で、6月のスケジュールを綿密に設計していた。

はずだった。もちろん総崩れです。

こなせる分はこなしても無理なもんは無理で、アポイントもいくつもリスケしたし、サンプル食品を食べてライティングする仕事なんかは、もうだめだ。なんせ喉鼻がおかしいので味が半分くらいしかわからない。期限は6月末だが計画は大きく後ろ倒しで、平謝りで騙し騙し進めるしかない。


正直、しょげた。
「試練の6月」が全然別の意味に変わってしまった。なんてザマだ…。

おそらく同じものに感染した同居人は、なんだか知らないが自分の免疫であっさりと快復してスケジュールをほぼ崩さずこなしている。その背中を毎日見送りながら、マスクの中を鼻水の洪水にしながら、激しい咳の勢いでさっき食べたご飯を吐いたりしながら、頭が痛くて寝転がり天井を見つめた。辛かった。

自分のために楽しんで栄養を考えて食事を準備することも、気力がなくなった。服薬のためだけに無理やり目の前のバナナを食べて、寝た。
1キロ痩せた。

鬱々と寝転がりながらインスタのリール動画に、かわいいどうぶつたちによる癒しを求めた。1時間くらい平気で経って、スマホを投げ捨てた。せめて読書をしようと、途中にしていた太宰治の晩年の短編集(『ヴィヨンの妻』)を最後まで読んだ。さらに鬱屈した(選書がアホ)


悲壮に暮れつつも、今朝は、熱がなかった。咳も鼻水もうっすらひいている気がして、身体も軽く、仕事でまる二日同居人もいないし、私がやるしかない家事をこなした。途中で咳の発作が変なところに入り、慌ててトイレで便器を抱えて、涙を流しながらえずきが止まるまで吐いた。

母から電話が来た。埼玉の実家から車で、少しの支援物資を持ってくるという。
先日、うつしたくないからと一度断っていたが、甘えることにした。

母は来て、「食欲がどれだけあるかわからないから、簡単なものしかないけど」と言いながら、タッパーにお漬物と鶏ハム、ラップに包んだ卵焼きと、「火もう通ってるからね」なじゃがいも、ほか栄養食品や果物を置いて、夕方帰って行った。

夜、それらを独り皿に盛る。
静音のレンジは何も言わずに料理を温めた。ふかし芋が温まるいい匂いを感じながら、それを見ていたら、途端にボロボロ涙が落ちた。最近見なれた黄色じゃない、透明の鼻水もズルズル出た。

久々に食べた母の手料理が、「簡単なもの」なのにびっくりするほど口にあって、美味しかった。鶏ハムには紫玉ねぎも一緒に漬けてあった。工夫を感じた。本当にありがたかった。忙しくて親孝行もまともにできずに寝込んでいる自分を呪いたくなった。私の中の儒教精神がこれまでの不義理を激しく叱咤し始めた。マジで涙が止まらねえ


元気にならないとダメだ。
身体は、牛歩ではあるが快復に向かっている。
折れかかって捻くれたこの心の方も。
ちゃんと元気にならないと、ダメだよね。


熱は出ずに夜を迎えた。気力もある。
アセトンのボトルを取り出してきて、ボロボロになった青いマニキュアを落とした。

選んだのは、ひまわり色。
これから夏が来る。暑いのは正直苦手だが、私は夏の暑い日に生まれた。

ひまわりのように常に明るい方を向け。

ビタミンカラーで、心身ともに溌剌としていけ。



今日の気分にぴったりの、ベースレコーディングに参加した曲です。


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