(七夕、小暑、香の日) 8 古代の日本と朝鮮


ISBN978-4-634-01640-8

朝鮮と倭

北九州と朝鮮の釜山(プサン、ふざん)は玄海灘(げんかいなだ)を隔(へだ)てて二百数十キロで向かい合う(対馬とは約六〇キロ)。古代においてもこの海は壱岐(いき)・対馬をはさんで常に陸地を見ながら安全に通行できる航路であった。海はむしろ便利な交通路であった。両地域は間近(まぢか)に結ばれ、人・物・文化が豊かに行(ゆ)き来(き)した。倭(わ)にとって朝鮮・中国への入り口となった釜山は洛東江(ナクトンガン、らくとうこう)河口(かこう)に位置して、古代朝鮮・弁心(べんしん)時代の瀆盧(とくろ)国にあたるといわれ、「倭と境を接する地」(『三国志』)であった。弁辰は倭が深い関わりを持つ地域で、やがて加羅(から)諸国となる。中国に向かう奴国(なこく)や卑弥呼(ひみこ)の使者たちもまず釜山(ぷさん、フザン)をめざした。またこの地は朝鮮の人々が文物(ぶんぶつ)とともに倭にわたる出口でもあった。彼らは北九州から近畿(きんき)、さらに東国(とうごく)にまで足跡(そくせき)を表していった。

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