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お母さんも人間なんだな。

「わたしだってもっと普通に暮らしたかった」

わたしが人生でいちばん
言われて苦しかった言葉です。



わたしは高2の中盤から高3になるまで
ピアノに対しての熱意が消失し
ちゃんと向き合うことができませんでした。
何のためにピアノやりたいのか分からなくなった時期。


この時期は、練習したフリ
つまり一応音は鳴っていても
譜面台ではスマホでYouTubeの動画を流している
なーんてことも日常茶飯事。
何か理由をつけてはベッドで寝たり
とにかくピアノの前の椅子に
普通に座って普通に練習ができませんでした。

子どもがそんな状態になったら
親が必死に練習させようとするのは当たり前。

「やりなさい」
「やれない」
「なんで」
「わからない」

の繰り返し。
わたしのやる気のなさと
親のやらせなきゃという責任感が
綺麗に反比例してました。

ひとりっ子だと親の目が分散せずに
わたし一人に集中するから
逃れられない感に耐えられず
元々ないヤル気を余計無くしてたなあ。
練習をしていない時間は常に
母を失望させているような気がして
罪悪感に苛まれる毎日でした。

この期間は
なぜやりたくないのか分からないという
謎のダルさに襲われる私自身もかなり苦しかったけれど
その倍以上お母さんを苦しませたなと思います。


母のストレスが最高潮に達した時
母に言われました。

「ピアノをやめたいならやめたいってハッキリ言って。

そうしたらどんなに楽か。」

「わたしだって週末はお出かけしたり、旅行に行ったり

普通の生活がしたかった。」




この言葉と母の表情は鮮明に頭に残っていて
書いていても涙が出てきます。

母のあんなに哀しそうな表情を
あの時初めて見ました。

ピアノをやっていると
週末はもっぱら練習かレッスンで潰れます。

お金だって
楽譜代、楽器代、メンテナンス代、学費と
飛ぶように消える世界なので
かなり切り詰めてくれていました。


その時ハッとしました。お母さんも人間なのか。

と。

それまで母の
怒ったところや嬉しそうなところは見たことがあっても
弱いところは見たことがなかったんです。

こんなに我慢させていたのか
こんなに私のために生きてくれていたのか

そう初めて気がづきました。

この母の一言が
病み期脱出の大きなきっかけになりました。

あとは

高3になると受験の準備が始まるので
向き合うことができないとか言ってる場合じゃなくなって
勝手にこの病み期から脱出したのも大きいけど(笑)


みんなの反抗期・病み期を脱出する
きっかけになった出来事も聞いてみたいなあ。


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