2001 US OPEN そのあと 2
NY中大混乱になり、私は翌日の帰国便を心配していた。
JFK空港は閉鎖して全てのフライトはキャンセル。どうなるか、そればかり考えていた。
翌朝はホテルをチェックアウトして空港へ向かおとしていた。コンシェルジュにタクシーを頼んだが断られた。空港は閉鎖されているから行ってもしょうがないという。ここから出ても行くところないという。普段あまり言い返すことの自分が初めて文句を言った。私は食い下がり、いい合いになったが埒が開かないのでホテルを飛び出した。
しかしながら外に出たら人もほとんど歩いていない。車も少ない。表のメインストリートまで出るとようやくタクシーが止まってくれた。
JFKまで行きたいという断られた。すると次のがすぐ来たがちょっと待てと言われた。さらに3台目が来てそのタクシーがトライしてみると行ってくれた。
空港までの道ですれ違う車はほとんどいなかった。厳戒態勢下だったので当たり前だが、一縷の望みで空港に向かった。
空港は封鎖されていた。警察官が立っていて高速道路から入ることができなかった。タクシードライバーにそのまま近くのホテルに行って欲しいと頼んだ。今夜泊まるところがないのでどこでもいいので空いているところを探した。運のいいことに1つ目のホテルですぐにチェックインできた。しばらくはここに滞在するかもしれないと思いつつ部屋に入った。
情報はテレビしか取れなかった。
空港は閉鎖されていていつ飛行機が飛ぶかも不明。途方に暮れるしかなかった。気分転換にロビーに行ってみるとたくさんの人がいて、電話に列をなしていた。
その中に数人の日本人グループがいて、思い切って声を掛けてみた。
すると日本に帰る便に搭乗寸前で事件が発生して空港が閉鎖、そのままこのホテルに行き着いたらしい。しかも空き部屋がなく2人部屋に知らない人同士6人も入っているという。
あまりにもきついのでそのうちの一人の男性に私の部屋に来るように提案した。
その時初めて会った方だが、ちょうどテニス 観戦旅行で来ていて話が合い、久しぶりにほっとできた。
とりあえず情報をテレビとインターネットでなんとか取りフライト再開を待った。
滞在2日目にようやく一部フライトが再開するという情報が入る。同部屋の方は日系フライトでどうやら翌日乗れるという話。
私は米系フライトで再開という情報がなかったが、わからないのでとりあえず翌朝早朝空港に向かった。空港の入り口に係員がフライトがある人が入れた。私のフライトはなかったのでそこではじかれた。
その同部屋の方とはそこでさよなら。日本での再会を約束した。
またしても路頭に迷った。
どうしようもないからとりあえずマンハッタンの滞在していたホテルに向かい、チェックインした。
部屋に入り、どうしたら帰れるのか?
そればかり考えていたが、どうしようもないことに気づいてフライト再開するまでしばし滞在を楽しむことにした。といってもお金もないしただフラフラするだけだったが。
いろいろ情報収集しているうちにかなりフライトが再開し出していた。が、自分のエアラインはまだ。あきらめていたら、一つアイデアが。
提携エアラインは?
すると提携エアラインが振替フライトを行なっているという。調べたら有効なエアラインを発見!
ニューヨーク→パリ→東京
路頭に迷っていた私を救えるのはエールフランスしかなかった🙏
NY現地のエールフランスは事務所がまだ空いていなかったので、日本のエールフランス事務所で確認を取ってもらった。
すると変更可能でまだ空席もあるという。
とりあえず予約を入れなおしてもらい翌日から再開するNYの支社に朝から並んだ。
事務所ではチケット変更だけだったが、JFK空港はまだ混乱しているので早めに行ってくれという。4時間前と言われたが、何があるかわからないので10時間前に到着した。早々とチェックインを済ませ、ゲートの中へ。とにもかくにもここNY、この国から脱出したい一心で動いていた。フライトは21時、ただひたすら待った。向かいのゲートには18時発のロンドン行きを待っている人たちがたくさん待っている。するとその2時間前くらいだろうか、ぞろぞろとその人たちがゲートを後にしていく。聞いてみると来るはずの飛行機が爆弾が仕掛けられたという情報が入り、途中の島に緊急着陸したので欠航になったらしい。
私の乗る便は大丈夫か?、もう祈るしかなかった。
しかしながら私の祈りが通じたのか、2時間前には無事到着した。搭乗時間になり、搭乗前、機内に通じる通路、そして機内前のところに自動小銃をもった警察官が立ってチェックしていた。
もし不審な動きを見せたら間違いなく撃たれる、そんな怖さもあったがそれよりも早く飛べという気持ちが強かった。
飛行機は定刻通り、パリに向けて飛び立った。周りはほとんどフランス人、日本人は一人もいなかった。まあ、パリ経由で日本に帰る人はそうそういないから。疲れ果てぼーっとしている間に飛行機はパリに到着した。
脱出成功。約7日間の滞在を経て日本に帰国した。これまでのサバイバルな生活は自分にこの上ない自信を与えてくれた。
帰国後、現地のホテルでベッドをシェアした方と日本で再会。
さらに昨年、20年ぶりになんとUS OPEN会場でお会いできた。
彼は今、奥様の仕事の関係でNYで暮らしているという。しかも毎日が楽しい。非常に羨ましい限りだ。
2人とも歳をとったけど、元気何よりだ!
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