専門学校で勉強してましてん

ふと、note再開して、1日に2つも書くなんて、また書かなくなるのは目に見えてるのですが…

自分の記事を読み返していて、専門受かったその後が全く書かれてなかったので…いや、病気のこともサザンのことも、旅の話も全然残してないけど…軽めにまとめてみようかと思います。

2ヶ月ごとに4本のレポートを全部で7回。今年の6月まで、全28本提出を無事終えました。今日までに、1本を残して返却されていて、成績としては、Sは2本くらいしか取れませんでした。んまでも、大方Aはもらえていて、Cは2本だったかなぁ…Bが5本くらい?あとで、調べて訂正しよう。

まぁ、これは言い訳ですけど、出題者の意図が全く分からないことが多くて、「コレ」を書いてほしいっていう、なんていうか業界経験者とか昼学ならつかめてる前提みたいなのがあるような出題の仕方に感じて、大概の勉強でツボをつけてきた身としては、すごく歯がゆい想いをしながら書いてました。全般的に。

手応えがあって書いてたレポートなんて、3本あったかなぁ…私文字を書くのは得意だと思ってたけど、全然歯が立たなかったです。

今年の1月に、締め切り2週間切って1本も出来てなかった時に、まさかのインフルエンザになって、身体は楽だったので、これは神様がくれたお休みだ!と。自分のおうちで勉強なんて眠くなっちゃって出来なかったのに、1週間部屋から一歩も出れない環境におかれたおかげで、無事に仕上げられたのが課題取り組みの中で1番の思い出かしら…

ギリギリになって、会社帰りにスタバ寄ってまで課題仕上げるたびに、次は早くやるぞー!って思うのに、解放感から提出した月は遊んじゃって、結局ギリギリからのスタバ通いを7回繰り返しただけの課題…

これを通して、私は何か学んだことがあったのかなぁ…

課題の調べごとをしていると、精神保健福祉の置かれている環境に悲しくなったり、弱者に冷たい政策に憤ったり、、、この勉強を通して、日本という社会にがっかりすることが多かったなぁ…

こんなひどいことになってることにも気がつかず生きてきてしまったなぁ…ツイッターにも書いてるけど、大正時代に呉秀三先生がおっしゃった、精神に病を抱えてるだけでも大変なのに、日本で生まれてしまったことは不幸が多くなることだという状況は、21世紀の令和を迎えた日本でも全く変わらないどころか、ある点で悪化してすらいると思う。

そんなことを考えるのは、私の中で新たな視点ができたということなんだと思うけど、じゃあどうする?の部分は、全く答えが出てないし、どんなことができるのかも分からない。

分からないまま、国家試験に挑もうとしている現状です。

今度いつ書くか分からないけど、実習での経験とかスクーリングとか、残しておきたいと、思ってはおります…

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