【グリッドマン考察】アカネと六花の話
みんな大好き『SSSS.GRIDMAN』の新条アカネと宝多六花の考察・解説です.前回取り上げることができなかったアカネを救う六花をはじめ,2人の理解を深めていこうと思います.加えて彼女たちの魅力が伝われば幸いです.
1.六花とバグ
前回バグが救うという作品の主題を取り上げましたが,アカネを救うことになる六花にもバグ要素があります.脚本の長谷川圭一さんによると,
ジャンクに囲まれた影響で彼女にもバグが生じたと.長谷川さんはアカネにとっての六花の存在についても語られていますが,この話題ついて雨宮監督は次のように述べます.
ちなみに第8回のアカネの台詞は次のものです.
六花とアカネの関係について,2人の発言を比べると食い違いがあるように見えるのは長谷川さんが企画当初の初期設定を語っているのに対して(「出発点です」とおっしゃってます),雨宮さんは完成品ベースで語っているからです.
整理すると,企画当初の六花の特別性はバグによるもので,それが最初からアカネのお気に入りとして作られたことになった,ということのようです.
2.紆余曲折
そういうわけで作品の中で2人の関係は近づいたり離れたりしたようで.ここで本編で直接描かれることはなかった最初の接近と離脱を想像してみます.
(1)接近その1
先ほどの第4回とは次のシーンのことです.
アカネが覚えていないのは,この時点で六花に興味を失っていたことの表れというのは監督ご本人の発言でした.とりあえずこの台詞から,最初2人の関係は近かったことがうかがえます.
で,その最初の接近は具体的に第9回の回想シーンに描かれます.夢の中ではありますが,新学期におそらく体育館で行われている全校部活紹介を抜けて保健室に来た六花が(そういえばあったそんな催し),同じく抜けてベッドに横になっていたアカネと言葉を交わしました.
ただ単に保健室で会ったのではなく,"新学期早々のサボり“という特殊シチュエーションで一緒になったことは2人の距離を縮める理由になりえます.
さらにアカネのキャラクターソング「もっと君を知りたい」に目を向けてみます.この曲だけまさかの雨宮哲ご本人直々の執筆.この歌をアカネと六花のものと決めつけて,気になる所を引用します.
このように学校に馴染めず退屈していた彼女は,部活紹介をサボった六花に自分と同じものを見たのではないか.彼女と一緒なら退屈から抜け出せるかもしれない,と.そんなことを六花に期待して2人は近づいたのかもしれません.というかこうした出会いも仕組まれたものなのかもしれません.第9回は"本来こうなるはずだった"世界なので.
(2)離脱その1
そして本編では「いろいろあって」離れた経緯は描かれず,2人が別々のグループに分かれた結果だけが描かれます.
もっとも,雨宮さんはしっかりコミュニケーションできていれば2人の関係もこじれなかったと言います(B第1巻14頁).2人に何があったのか.憶測の域を出ませんがもう1度歌詞に注目します.
アカネは六花の気を引きたくてつい意地悪してしまったのでしょうか.何か下手した可能性があることは後述します(5(2)).
3.コミュニケーション不足
さて,監督は本作品全体を通してコミュニケーション不足が主題の1つになっていると述べます(B第1巻14頁).
これについての筆者の理解は,1つには“高校生のリアル“を描く方法としてコミュニケーション不足を採用したというもの.すなわち,若さゆえコミュニケーションがスムーズにいかない様子を描くことがリアリティに繋がるというもの.もう1つはすれ違いを利用したドラマの創出といったところでしょうか.
こうしたコミュニケーション不足はアカネと六花についても描かれます.具体的に,たとえば第9回バスでアカネが「シー」に誘うシーンです.
最初はバスの後方にクラスの人たちがいましたが,六花が不参加を伝えると,バスの中は急にアカネと六花だけになります.
この後グリッドマンによってこれがアカネの怪獣による夢であることに気づく六花.そして,
この台詞と2人きりのバスという状況によって,先ほどまでみんなで「シー」に行く話が,"2人で"どこかに行く話にすり替わってます.
本当は六花と過ごしたかった.みんなでシーに行くという話は六花を誘うための彼女の方便でした(後述5(2)).六花の「友だちいっぱいいるじゃん」という返事に自分の気持ちが伝わっていないことを読み取り,その場の状況と話を変えたのです.
しかし,これは夢.現実に戻るべく六花はバスを降ります(おそらくグリッドキネシスによる影響).その際アカネに一瞥もくれず,すなわちバスの後部座席の変化に気づくことなく,したがってアカネの気持ちに気づかないままバスを去ってしまいます.
その後,第11回で先ほどのアカネの台詞がリフレインされ,六花が彼女の気持ちに気づいた様子が描かれます.バスで後ろを振り向かなくても,台詞の「このまま」ってどういうこと?と不自然さに気づきうる言葉ではありましたが,コミュニケーション不足,すれ違いとして描かれることに.
とまれ六花は彼女と対話すべく内海に裕太を任せて病院を後にします.ここの六花の心情変化は後でまた取り上げます.
4.「アカネは私の友だち」問題
では,物語を通して神様に終始,友だちとして向き合うことを諦めなかった宝多六花さんについて考えていきます.
(1)人間味と友情の危機
グリッドマン同盟の他メンバーと異なって彼女は悶々としがちですが,それは彼女がジャンク=バグの影響で人間味が強いことに加えて(冒頭長谷川談),彼女の相手が怪獣ではなく人間のアカネだから.
人間味が増すと悩める存在になるというのは怪獣との対比でしょう.後に自身も怪獣となってしまうアカネはときに恐ろしいほど躊躇がありませんでした.
ちなみに続編『SSSS.DYNAZENON』で怪獣優生思想の方たちが登場しますが,雨宮さんによるとアカネこそ純粋な怪獣優生思想の持ち主だそうです(ダイナゼノンのB第1巻176頁).
さて六花が友だち思いとして描かれるのも彼女が人間の社会性を担う人物ゆえ.最初に裕太たちと一緒に戦う決意をしたのも友だちを失うことへの恐怖からでした(第2回).
しかし,アカネに関しては後半のとある一言で状況が変わります.
アカネの友達として作られたゆえに彼女への気持ちも作りものだったと知り,六花は足場を失い動揺を隠せません.“アカネは友だち“という点が彼女と向き合う根拠だったのでこれは六花にとって危機でした.
(2)仕組まれた好意の問題
彼女はこの危機をどう乗り越えたのか.これも後述…やたら後回しにしていますが,次の台詞を検討する中でまとめて答えを出そうと思います.多くがこの台詞に結びつくからです.
この台詞は病院を抜けてアカネと対峙する水門シーンのもの.強烈すぎて面食らいます.まるで愛の誓いのような,そんな重みがあります.というか重たすぎる.
どうしてこのような台詞になるのか.以下で筆者なりの理解を示そうと思います.まずは本作における友だちからはじめます.グリッドマンの台詞です.
この「本当に信頼できる友だち」について,次にフィクサービームでアカネを修復していく際のグリッドマン同盟の面々の台詞です.
ちなみにこの「広い世界」とは"コンピュータワールドより"広い新条さんの世界=現実世界.続いて「そのための関係」という言葉が気になります.困ったら頼っていい関係と読めますが,それだけではないようです.
どういうことか.まず,六花はアカネのよき理解者でした.次の会話になんとなく表れています.
もともといた神様の世界の存在.そこはきっとアカネがいずれ戻らなければならない世界と六花はなぜか気づいています.
そして彼女はもう1つ気づいたようです.それは自分がアカネの友だちであることの意味,彼女の友だちとして彼女の怪獣から生まれた意味について.
それは,友人としてアカネを彼女の世界に送り出すというもの.
そう考えると,先ほどの「そのための関係」とは広い世界に送り出す関係のことでもあったと分かります.思えば,第1回に裕太を寝かせたリビングで彼女が口ずさんでいた「Believe」(1998年.作詞・作曲杉本竜一)は卒業式,つまり"門出"の歌として定番の曲でした.
見送ることが六花にとって自分にしかできない自分のやるべきこと.そのために六花は「本当に信頼できる友だち」になる必要があったのでしょう.追いかけた水門で六花はアカネとそうした関係を取り結ぼうとしていたのではないでしょうか.
ここで先ほどの危機の話になります.六花の気持ちはアカネによって作られたものだとしたら本当の信頼関係は築けそうにありません.少なくともアカネは取り合ってくれない.
この台詞への回答が先ほどの重たい台詞になるわけですが,六花としてはそれでも本当の友だちになれると確信していた.なぜでしょう.
ここで先のバス2です.「一緒に行こうよ,このまま」と言ったときのアカネの気持ち.六花はアカネが友だちとして自分を求めてくれたのにその想いに気づけなかったことを悔いつつも,今はその気持ちを受け止め,応えたいとアカネを探しに出たはずです.
このときの六花の気持ちは,人とのやりとりを経ないプログラムによって自動生成されたものではありません.模造品ではないアカネの気持ちに直に反応したこの気持ちはきっとプログラムによるものではなく本物のはずだ.このような確信があったのだと思います(※この辺りは後に説明を改めました。詳しくは「新条アカネと南夢芽」).
結局2人には邪魔が入ってしまいますが,冒頭六花の重い台詞はアカネと「本当に信じ合える友だち」になるための,まさに誓いの言葉.この作品が信じ合える友だちがいれば最強という話であることと,そうした関係になるには距離の開いてしまった2人であるため,特別な言葉が求められたのかもしれません.重たいのには以上の理由があったのでは,と考えています.
この六花の台詞,愛の誓いというか契りというか,自分の気持ちを伝え,さらに相手の気持ちを確かめようとする感じがいわゆる"告白"の形式です.きっと雨宮さんから「告白みたいな感じで!」といったオーダーが長谷川さんにされたのではと邪推しますが,実際はどういう経緯であの台詞になったのでしょうか.
5.新条アカネのあれこれ
最後にアカネについていくつか.
(1)ポンコツな神様とよき理解者六花
彼女の理解に必要なのはポンコツな神様という設定です.彼女自身,劇中で何度か上手くいっていない旨発言しています.
ちなみに彼女がコントロールできないことを利用していたのはアレクシスです.というのもアカネが不具合を怪獣で破壊と再生を繰り返すことによって気持ちを満たしていたのはアレクシスだからです.
したがって,アレクシス的にはアカネに上手くコントロールされては困るわけですから,公式と異なり彼女はポンコツではなく,はなから普通の人間にコントロール困難な代物だったという理解をここでは取りたいと思います(もっともポンコツだから彼女を選んだとも理解できますが).
というわけで自分でも気にしていますがそんなこともないわけです.しかし,アカネは逃げてきた世界にガタが来ている上に外からのお客さんに連敗し,何もかもうまくいかず追い込まれていきます.
この作品のシナリオの基礎にあるのはアカネの救済です.現実世界で抱えたアカネの苦しみがグリッドマンのフィクサービームによって修復され,また現実に戻っていくというのが物語を支える大枠です.
そしてこの傷ついた神様に寄り添う,彼女のよき理解者が六花.冒頭の「自分〔アカネ〕に1番相応しい存在」(雨宮)とはアカネにとって救いとなる友だちという意味かと思います.
再び六花が口ずさんでいた「Believe」を聞こえる少し前の部分から引用すると,
傷つき逃げてきたアカネに寄り添う六花のイメージと一致します.
第8回「対・立」の学園祭でアカネを止めようと説得を試みる六花に「私を殺せば?」と意地悪をいうアカネ.「それは解決じゃない」と粘る姿にこの寄り添う友達としての彼女の本質が表れています.
これに対する「やっぱり他の子とは違う.私の近くにいるべき人」というアカネの言葉にも,六花が「自分に1番相応しい存在」として作られたことを読み取ることができます.これら一連の台詞はアカネのよき理解者六花という視点で理解ができます.
(2)アカネの気遣い
続いて,上述した本作の主題の1つであるコミュニケーション不足と併せて,アカネを追い込む原因が彼女の気遣いです.アカネは無理に笑顔を作り愛想よく振る舞うことが多々あり,気疲れするタイプの人間です.
特に女子には気を遣っています.例えば基本的に六花と2人で会おうとしません.大人数でいるときか通学路だけです.学校・家の方向が同じということが一緒になるのに変な憶測を生じさせない強力な方便,ということを知りました.というか忘れていました.
たとえばグリッドマン同盟の3人に裕太の秘密を聞き出そうとした第4回を思い出したい.裕太とは特に理由なく2人で昼飯にしますし,内海とも2人で買い物へ.
しかし,六花の場合は彼女と話すためわざわざ六花さん軍団の合コンに乱入しました.どう考えてもアカネが苦手とするところなのにです.
これは六花が人との「距離感」に敏感であること(例えば第1回での裕太との会話)をアカネは知っており,いったん自分との間に距離が開いてしまった以上いきなり2人では会えないなと六花を気遣ったからと考えられます.
先ほどのバスで「シー」に誘うときも同様です.あちらも2人は微妙かと六花を気遣ってのことでしょう.しかし,六花としては別グループだし六花さん軍団がいないので断ったのでしょう(誘いを断ることはバグ=ジャンク=グリッドマンの影響でアカネの思い通りにいかないことの表れとも言えるので理由はなんでもいいのですが).
アカネも逆の立場だったら同じ対応をしそうですが,この辺は気遣えるのにアカネのどこか抜けている感じが出ています.ここに気づかず誘い続けて次第に興味を失っていったのかもしれません.
ちなみに,六花は合コンの後にもっとアカネと話たかったと残念がっているので,これらの気遣いはおそらく骨折り損になっています.この辺りもコミュニケーション不足,すれ違いの描写なのでしょう.
また,第9回では同じ趣味を持つ友達として作られた内海に対する距離感にもアカネの不器用さが顕著です.親のいない自宅にお泊まりの誘いをしちゃっています.その気がないにもかかわらず.
(3)握り返したか問題
次にアカネと六花のラストシーンです.このシーンは握った手についてどちらが握り返すのか,それともどちらも握り返さないのか悩んだと明かされています(ヒロインアーカイブ155頁〔演出・宮島義博〕).本編では強く握ったのが六花なのでアカネが握り返したのか否か空白となっており問題となります.
決め手に欠けるところではありますが,六花の目の芝居から考えてみます.本編では涙を浮かべながら六花を見つめるアカネの微笑みに続いて,次の六花の目元が入ります.
目を大きく開き,また伏せ目になりました.「開く」「伏せる」それぞれに対応するアクションがアカネにあったと仮定すると,それはアカネの握り返しと続いてその握り返す力がなくなったこと(=いなくなったこと)が考えられます.
アカネの握り返しに気づき六花は目を開き,その力がなくなったので行ってしまったことの寂しさに目を伏せた.ここではこのように考えたいと思います.以上,アカネは握り返してくれた説でした.
ちなみにこのシーンで流れるのは原作電光超人のED「もっと君を知りたい」(作詞:大津あきら,作曲:鈴木キサブロー)のピアノアレンジです.該当歌詞はおそらく次の部分でしょうか…
(4)ツツジ台のその後
最後に,ボイスドラマ第12.12回「帰ってきたアカネ」について.アカネが去った後,街には冬が訪れます.そして六花と内海はアカネそっくりの人物に遭遇しますが彼女は何者だったのか.ドラマでは容姿や服装声まで一致らしいのですが,内海が怪獣ネタを振ったりして本人か確かめようとするも反応がなく,中身は別人の模様.名前も明かされませんでした.
これは個人的な予想というか願望ですが,アカネが六花たちの世界に自分のそっくりさんを送り込んだのではないか.というようなことを考えています.
理屈としては,まだアカネがこの世界にいた頃にこのそっくりさんが存在したとは考えにくい.したがって,そっくりさんはアカネがいなくなってから誕生した.
この街の住人は皆怪獣から作られたレプリコンポイドという存在です.コンポイドというのは原作(の1つ)『電光超人グリッドマン』のコンピュータワールドに生息する生命体のことで,六花たちは作られた存在なのでレプリカというわけです(アレクシスは「雁造物」と言ってました).
そっくりさんが本編後に新たに作られたレプリコンポイドなら,それを作った怪獣がいることになります.本編で六花たちを作った怪獣はアレクシスが与えたこと以外情報がないわけですが,仮に街の管理怪獣=霧の怪獣だったとすると(超全集2頁には霧の怪獣が六花たちを作ったとの記述が有ります),怪獣たちは本編でナナシに全て破壊されたので,街にレプリコンポイドを作れる存在はもういないことになります.
それではそっくりさんを作ったのは誰だということになりますが,そこでアカネが候補に挙がります.自身が一度怪獣になった影響で自らレプリコンポイドを作れるようになった,とか.そんな話だったらなと.
ちなみにアカネがなぜ自分の姿の別人を作ったのか.前回,コンピュータワールドでのアカネの姿は自分の憧れている姿で現実の姿ではないと論じました.したがって,自分の姿を別人として作り街に配置したことは偽りの姿を捨てたことを意味します.すなわち自分の容姿へのコンプレックスを克服したと理解できます.
そういうわけで,いつか本来のアカネの姿でみんなに会いにきて欲しいものです(でもそれだと誰も気づけないか).アカネも1人じゃないというキャリバーの言葉(第12回)も気になりますし.
今回は以上になります.最後までお読みいただきありがとうございました.感想や質問ご意見お待ちしております.
・前回記事
・参考文献一覧
『宇宙船 別冊SSSS.GRIDMAN』(ホビージャパン,2019年)
『てれびくんデラックス愛蔵版 SSSS.GRIDMAN超全集』(小学館,2019年)
『SSSS.GRIDMAN 特典ブックレット』全4冊
『SSSS.DYNAZENON & GRIDMAN ヒロインアーカイブ』(一迅社,2021年)
画像:©円谷プロ ©2018 TRIGGER・雨宮哲/「GRIDMAN」製作委員会
※追記(2023/1/28)
「5.アカネのあれこれ」の記述を大幅に変更.全体的に記述修正
※追記(2023/5/23)
「5.アカネのあれこれ」の(1)アカネのポンコツの記述を修正
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