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旅先で再認識した、当たり前のこと: 日々「取消できない選択」の連続

今年、友人に誘われて、ボストンへの旅に行ってきました。
ボストンに行ったのは生まれて初めてで、今後おそらく、二と度と訪れる機会は無いように思います。
(行こうと思えば行けますが、他にも訪れたい場所がたくさんあり、
 限られた人生の時間&経済力を考えると、私の人生で訪れることは二度と
 無いと考える次第です。)

そんな貴重な(おそらく一生に一度の)ボストン滞在、おかげさまでいろいろ満喫しました^^
特に一番思い出に残ったのが、ボストン・レッドソックスの本拠地球場である、フェンウェイパーク訪問。(タイトル写真にも球場が写ってます。)
なのですが、その話はまたの機会にすることにして、今日は、今回の旅行で一番後悔したことについて書きます。

一番後悔したこと、それは、スケジューリングミスから、優先度の低いとあるツアーへ先に参加した結果、時間切れでとても行きたかったとある博物館に行けなくなってしまったことです。

優先度の低いツアーの方は、思った程楽しめるものでもなく、そちらよりも博物館に先に行っていれば...一生に一度の機会なのに、なぜ判断を誤ってしまったのか...とかなり後悔しました。

ボストンに行けただけで十分幸せなことであり、ある意味贅沢な後悔(?)なのですが...

この出来事から思ったのが、人生で取り返しのつかない選択をしているのは、今回のように、一生に一度しか訪れることのない旅先においてだけではなく、実は日々、そのような選択を行っている、ということ。

普段の生活圏内での選択(判断)であれば、例えば今日あることを”しない”選択をしたとしても、別の日に実行できることも少なくありません。
これは一見、(「別の日に実行できる」という意味において)「取り返しのつく選択」のようにも見えます。が、その瞬間・ひと時において何をするか?という観点では、日々、取り消すことのできない決断を行っています。

また、「延期」という行為は、将来に選択肢を残しているようで、実は、その選択肢が将来に残ることで、「延期していなければ(=選択肢を残していなければ)他のことに使えた時間」を失う可能性がある、ということも、今更ながら認識しました。
(=日々の決断により、将来の時間の自由度(時間的制約)が決まる、という点においても、日々、後戻りのできない決断を行っている。)

常に「最善」「最適」「誤りの無い」決断をすることは難しいのですが、失敗も積み重ねつつ、日々の「決断」の精度を上げていきたいと思います。
より良い「ジブン株式会社経営」のためにも。

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