「カラビ=ヤウゲート 深淵の悪魔」/第六話
2階の応接室で当たり障りのない話を選んで、出された茶をすすっているうちに、ノックの音がした。
「どうぞ」
森林が言うと、先ほどお茶を運んできた若い女性が顔をのぞかせた。
「カメラの方がおつきになったようですけど」
「あ、下に迎えに行きます。打ち合わせもしますので少しお時間いただきます」
言いながら恋河原はカバンをもって立ち上がり、廊下へ出ると女性を置き去りにして小走りで階下へと向かう。ほどなくして入り口付近で、ひょろりと背の高いベテランカメラマン・川端と、小柄な若手音声マン・狭山のでこぼこコンビのシルエットが目に入る。
「おお、恋ちゃん!いったいどうして、こうなった!?」
そのセリフは心の中で何度も言った、と内心で思いながら恋河原は簡潔に事情を説明する。
「住民がこの施設を不安がってるって話があったんで、その辺の路上で町内会長の話を聞いてたんですよ。そしたら高齢の女性が近づいてきて『マスコミの人?』って聞くんですよ。てっきり近所のおばちゃんだと思って『ハイ』っていったら、私がここの代表だから中で取材お受けしますって。町内会長も初めてあったらしくてビックリしてましたよ。で、もうカメラデスクに頼み込んで急遽一班だしてもらったんです」
「なんだかよくわかんないけど、許可は出てるってことね。何から撮る?」
川端は制約なく回せるなら何も問題はない、といった顔で周囲を見渡した。窓の位置や電灯の有無などから、色温度のあたりをつけているようだった。
「先方の広報の人を待たせてるんで、インタビューからで。ピンでお願いします。私の質問はガンで。2階の応接です」
後半は狭山に対してのマイクの指示である。無言で頷く狭山から三脚を受け取り、恋河原は2人を先導して歩く。
「よく受けたよね」
「ええ。代表が言うには『住民の皆さんにも説明が必要なタイミングだとは思っていた』ってことなんだそうです」
「大丈夫なのかい、ここ」
川端が示唆しているのは、都市圏で大事件を引き起こした有名宗教団体との類似、もしくは関りについてだと思われた。
「・・・正直、わかりません。でも、ここで引いたら負けじゃないですか」
「そりゃそうだ」
応接室につくと森林が立ち上がって出迎えた。恋河原は窓からの光が逆光にならぬ位置に森林を座らせ、自分はその対面に陣取る。
「では、今回の取材の意図をご説明します。こちらの建物はもとは学習塾だったそうですが、去年廃業となりました。その後、こちらの団体が入られましたが見知らぬ方が数多く出入りするため、付近の方からは不安の声が上がっています。こちらの団体の活動内容などについて伺いたいです」
恋河原が話す合間に川端が簡易照明を立て、狭山は森林の胸元にピンマイクをセットする。
「6000、と。まあいいか」
川端が言うと、
「挿します」
狭山が一言だけ呟き、カメラ後部のジャックにミキサーのプラグを挿す。
「森林さん、ご準備よければ収録させていただきます」
「どうぞ」
恋河原は川端に向け、小さく頷く。川端が頷き返し、カメラ上部のターリーランプが赤く点灯する。
「ではお願いします。・・・まず、こちらの団体の名称を教えてください」
「当団体は『クロノスの会』と申します。宗教団体としての法人格を得ております」
広報担当だという森林はいかにも取材慣れしている様子で返答する。企業や官公庁など同様の仕事経験があるのだろう、と恋河原は思った。
「宗教団体、なんですね。宗教にもいろいろあるかと思いますが、こちらの教義はどのようなものでしょう」
「おっしゃる通り世界の三大宗教をはじめ、様々な宗教があります。私たちの団体が信奉しているものは、ちょっと意外に思われるものかもしれません」
「といいますと?」
「私たちが信奉しているものは『科学』だからです。科学、と名の付くご神体がいるわけではありません。ですから、当団体には『教祖』はおりません。全員が意思統一を図るシンボルとして、古代ギリシアの神・クロノスを祀っていますが、ここに集まってくる人間はそれぞれが自分の信奉するジャンルの科学を、ある目的のために役立てたいと考えています」
恋河原は握った右手をそのまま顎に当てながら、次の質問を考える。
「科学を追求する、という点については学術研究者と同じと言えるのかもしれませんが、その『目的』如何によっては世間の受け止めは大きく変わるように思います。例えば、ひとの生命や権利を脅かすようなものであれば、それは受け入れがたいものです」
「私たちがこの機会に皆さんにご理解いただきたいことは、まさにその点です」
森林はこういうと、ふぅと一度大きく息を吐いて続けた。
「私たちの目的、それは『人類を守ること』です」
恋河原の耳に、川端が小さく息をのむ音が聞こえた。
「いったい誰から?何からですか?」
森林はテーブルを見つめ、唇をかみしめる仕草をした後、息を吸いながら天井を向いた。その姿は、恋河原には次にいうべき言葉を探しているかのように見えた。
数秒後、森林は目線を恋河原に戻してこういった。
「・・・悪魔、なんてものがいると思いますか?」
その言葉を耳にした恋河原は、自分の脳が麻酔を打たれたように麻痺し、急速に現実感が失われていくのを感じていた。
<続く>
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