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「カラビ=ヤウゲート 深淵の悪魔」/第八話

「『・・・そこにいるのは誰だ?こんな夜更けに何しに来た』

『最前の、お礼にまいりました』

『最前の礼?』

 ツイ、と覗きこみますと、今しがた、市川の堤で沈めてきたばかりのお紺が、肩から腰へ血みどろになって治郎吉の前へ、さも恨めしそうに……

 ズズゥ~ッ!」

その言葉を合図に部屋の灯りがすべて消え、白装束を着込んで蛍光塗料を顔に塗った『幽霊』がドアから姿を現わす。

パイプ椅子に座った20人ほどの観客が、悲鳴を上げるあり、しゃがみこんで頭を抱えるあり、とそれぞれの反応を見せる中、暗闇の中で語り手が再びしゃべり始める。

「『よくもむごたらしく殺してくれたなあ~』

『ええい、迷わず成仏せよぉ!立ち去れ、立ち去れ~!・・・・・・はっ、さては今のは夢であったか。はても恐ろしい、執念じゃなぁ~~~」

パッと電灯がつき、明るくなった区民センターの集会室には安堵のため息と、笑い声が響き始めた。

「はい!三代目桂米朝師匠の『怪談市川堤』を、幽霊付きでお楽しみいただきました。北都大学落語研究会『納涼・怪談祭り』、このあともごゆっくりお楽しみください」

急ごしらえの高座で語っていた細身の男は、正座のまま丁寧に頭を下げる。会場から拍手が送られると男は立ち上がり、座布団を裏返して去った。

紅林太一郎は、5列しかない客席の一番後ろに陣取っていた。今朝、恋河原への連絡を終えた直後に、堀川からの電話でこの会のことを知ったのだ。言われてみれば『落研』が『怪談噺』を演ること自体はもっともなことだ。だが、お目当ての「人物」がここにいるかどうかは、また別の話だった。

恋河原に頼んだ『クロノスの会』のリサーチはどうなっているだろうか。あとでラインでもしてみよう、と思いながら紅林は『納涼・怪談祭り』で学生たちの、さしてうまくもない怪談噺を聞いていた。

17時から始まった会も、手作りのパンフレットを見る限りでは残りの演目はあとひとつ。その名も『トンネル』という最終演目の中身が気になっていた。紅林の知る限りではそんな名の古典落語はない。怪談噺の新作なんて、あるのだろうか。

と、ジーンズにポロシャツ姿の小太りの青年が、上手から歩いてきて高座に上がり、そのまま座布団にトン、と座った。

「『すぱげっ亭ぼんごれ』と申します。普段は他の演者と同じように和装でもって落とし噺をしておりますが、きょうは怪談噺の会ということで趣向を変えて、近頃はやりの『実話怪談』、実際に私が体験した話で締めくくらせていただきます」

ぼんごれと名乗った青年は落研幹部らしく、しゃべりに貫録が感じられる。

「決して着物の洗濯が間に合わなかった、ってわけじゃあないんで、ええ。実はこの服装、ある怪異に出会ったときの恰好そのままでして。そんなところからも臨場感を感じていただければと思います」

ぼんごれはテンポよく語りだす。

先週金曜日の夜、時のころは深夜の12時。仲間と一緒にタクシーに乗って市内の有名心霊スポット『小別沢トンネル』向かったこと。タクシーを降りて歩いてトンネルをくぐったこと。

これはビンゴか、と思って注意深く聞いていた紅林は、次第に違和感を覚え始めた。その場にいた人数の描写が、かなり曖昧なのだ。


「薄暗い中をスマホの灯りひとつを頼りに、大の男が身を寄せ合って歩くわけです。

『押すんじゃねえ』『そっちこそ押すんじゃねえ』、

『どこ触ってんだ!』『いやん、バカん!』

なんてことを言いながらおっかなびっくりトンネルの中を歩いて、反対側まで抜けたわけです。戻りはみんな、なぜだか急に無言になりましてね。神妙に歩いていると耳元で誰かの声がする。

『ひとり、ふたり、さんにん、よにん・・・』

『おいいま誰か何か言ったか』『何も言いやしないよ』『空耳だろうさ』

黙って歩く。

『ひとり、ふたり、さんにん、しにん・・・』

今度は全員はっきり聞こえた。アタシら全員男だったんですがね、聞こえたのは女の声だったんですよ。しかも『しにん』って聞こえましてね。

全員、冷水を浴びたようにぞーっとなりまして、そこからは全力疾走でトンネルを抜けました。

『オイ、いるか!』『あいつは?』『そいつは?』

なんてやりとりをして怖かったねー、なんて言い交わしてて気づきました。

待たしてたタクシーがいないんですよ。なんだ、おいけてぼりかなんていってましたら、真っ暗闇の中でライトを消してその場にいました。

・・・あんまり暗かったんで視認(しにん)ができませんでした」

ぼんごれは、すっと頭を下げる。客席からは精一杯の拍手が鳴り、追い出し太鼓の音がCDデッキから流れ始めた。

おいおい、と紅林は思った。肝心なところが不確かなまま、中途半端なサゲで終わっている。結局、人数の話はどうなったのか。

身支度を整えた観客が、落研の部員たちに送り出される中、紅林は彼らに近づき、名刺を出しながら声をかけた。

「こんばんは!いやあ、興味深かった。私、怪談ライターやってる紅林と申します。きょうの会のこと、どこかで記事にできないかと思いまして。どうです?このあと食事でもしながらお話を聞かせていただけませんか。あ、ファミレスですけどね」


<続く>


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