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「カラビ=ヤウゲート 深淵の悪魔」/第五話

・・・いったい、どうしてこうなった?

恋河原(こいがわら)美穂は混乱し続けている。が、それを対面する初老の女性に気取られぬよう、全力で平静を装っていた。

「『クロノスの会』の代表を務めております、下柳と申します」

女性は特に偉ぶる様子もなく、会釈する。

「北都テレビ報道部の恋河原と申します。急なお願いをお受けいただき、ありがとうございます」

軽く頭を下げながら、名刺を差し出す。下柳と名乗った女性は名刺を受け取ると左隣に立つ男性に向け、小さく頷いた。男性がすっと前に出て名刺を差し出す。

「広報担当の森林です。代表に代わりまして私が取材をお受けいたします」

森林と名刺を交換すると下柳は、

「ではあとはよろしくお願いします」

と言い残し、すっ、と応接室から姿を消した。

「・・・いま、カメラクルーが向かっています。20分ほどで着くかと」

「この後の予定は空いていますので、私はかまいません」

森林は落ち着いた様子で恋河原にソファをすすめると、自分もテーブルをはさんで対面のソファに腰を下ろした。

恋河原は足元にカバンを置きながらソファに腰かけ、再度こう思った。

・・・いったいどうして、こうなった?

☆☆☆☆☆

恋河原が紅林からの電話を受けたのは、今朝早くのことだった。

「ずいぶん早いじゃない?なにかあった?」

「おう、ちょいと頼みがあってな。『クロノスの会』って知ってるか?」

「あー、豊平区の新興宗教っぽいヤツかな?」

「さすがだな。アチ!ちょ、お湯こぼした!」

コーヒーでも飲もうとしていたのだろうか、電話越しにあわてる気配が伝わる。落ち着くのを待って声をかける。

「前に豊平署を周った時に副署長が何かいってたなあ。付近の住民が不安がっているとかいないとか。その程度のことしか知らないけど」

「北都大生がひとり拉致されてる可能性があってね。ちょっと周辺を当たってみたりできるかね?」

「そうねー。きょう休みだし、こないだの借りもあるから、受けますよ、先輩!」

「助かる。ことと次第によっちゃあヌキにもなるし、ま、いずれにしても今度メシ奢るわ。あ、詳細はメールで送っておく」

「あーい」

通話を切る。

紅林はかつて北都テレビで、恋河原の5年先輩の記者だった。取材や原稿の書き方のイロハから教わっているうちに、彼女は有能な先輩記者に憧れを抱くようになり、それは恋心へと変わっていった。

しかし、やがて二人が恋人同士と言える関係に発展したころ、紅林は会社を辞めた。テレビの記者という仕事に飽きたのか、職場恋愛についての彼なりのケジメのつもりだったのか、詳しいことは聞いていない。

それから4年。現在の2人の関係は、同居こそしていないものの「事実婚」に近いもので、互いのサイクルが合いさえすれば、世間一般でいうところの「夫婦」におさまりそうな空気感だった。

「一応、言っとくか」

恋河原はスマホの通話画面で『副編集長』をタップする。副編集長を務める水沢は紅林の入社同期で、2人の関係性は早い段階から知っていた。紅林からのネタであることを明かしながら、周辺取材に着手したいと伝える。

「例の有名な宗教団体の話もあるし、リサーチしておきたいんですよね。『住民困惑、謎の施設の実態は!?』みたいな特集もいけると思うし」

「うーん、今日の朝会でデスク陣とキャップには言っておくけど、面倒なことになるのは避けてくれよ。クレーム対応は勘弁してほしい」

さして乗り気でもなさそうな水沢の声に、了承の返事をして電話を切る。

さて、どんな段取りで動こうか、と恋河原はトースターにパンをセットしながら思いを巡らす。

(朝の引継ぎが終わったあとの9時過ぎに豊平署へ。警察が把握している事項を確認して、付近の町内会長を探して出向いてみるか。そうだ、公安調査庁の出先機関にも電話しておこう。あとは、問題の施設にどうアプローチするか)

出かけるための服を見繕っている間に、トースターのパンが跳ね上がる。

・・・少なくともこの時点では、『クロノス』へのカメラ取材インタビューまで発展するとは思っていなかった恋河原であった。


<続く>


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