コーヒーと洗濯機
どっちもぐるぐるまわる。片方はスプーン、もう片方は洗濯物が。
謎かけが好き。無関係にみえる2つの物が言葉1つで結び付くから。
世の中には関係ないことなんて無くて、何か1つの結びつきで繋がっているのではないかと思う。
コーヒーをはじめて飲んだのは中学生の頃だった。砂糖を入れないで飲むのが大人っぽくて、親が入れたコーヒーを無理して飲んでいた。
自分は他より大人で、特別なんだと。今思うと思春期にありがちなありふれた考えで枕に顔を埋めたくなるような。にがい。
そんな型に頑張って合わさず、自分の好みで砂糖を入れられるのが大人なのではなかろうか。
今もコーヒーをよく飲む。コーヒーが好きかと聞かれると「わからない」と答える。
喫茶店は好き。雰囲気がよければ味はどうでもいい。違いがわかるほど味覚がしっかりしてるわけでもなく、コーヒーはおまけなのかもしれない。
自分の中で好きか嫌いかはどうでもよくて、突き詰めた先に答えがあるのかもしれないけど、どうでもいいかな。と今日もコーヒーを飲むのだ。
洗濯機は嫌い。洗濯がめんどくさい。やらなくちゃばっちいからやるけど。
洗濯機を押してから終わるまでの間、時間に縛られてる気がする。
縛られて困るような生き方をしてるわけではないのに、不思議。
両生類の家は洗濯機が外にあるから、冬場はつらい。手が凍てついて真っ赤になる。
夏は夏で暑いからイヤなのだけど。結局めんどくさいのだ。
洗濯機で思い出というと、幼稚園の頃かな。
その日は母親が水泳教室の申し込みで居なくて、兄と留守番してた。
お水を飲もうとイスに乗って蛇口を捻ろうとした時に落っこちた。
割れたコップ、兄の悲鳴、血塗れの幼稚園着を覚えている。
幸い?手の神経まで切れてたから切れた痛みはなくて、それよりすりむいて出来た傷が痛かった。
とはいえ血は止まらず、汚しちゃいけないから洗面所に移動して母親が帰るのを待ってた。
母親はびっくりしただろうな。
その後怪我は縫って、違和感はあるけど手も問題なく動いてる。
血塗れになった洋服は、母と洗濯機がキレイにしてくれた。洗濯機はすごいやつなのだ。それは認めるからまぁうまく付き合っているのではなかろうか。
そんなわけで、腐れ縁のコーヒーと洗濯機に挟まれて今日もなんとなく過ごしている。
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