見出し画像

まだまだこれからですよね

仲の良い友人から「アイシングクッキー」の写真が送られてきた。

鳥の形を模していて、ピンク色に塗られたクッキーには、波模様だったり、目だったりが細かく描かれていた。

可愛い。

以前、noteのアカウントをつくって日記を垂れ流してみようと思っていると話したところ、「私はアイシングクッキーを始めようと思っている」と話してくれ、互いに心に秘めていたやりたい事を打ち明けていたのだ。

何かを始めようと思っていても、その過程を面倒くさがってしまったり、出来ないよなと諦めてしまったり、自意識センサーが失敗の匂いやら恥ずかしさを感知してしまったりして、なかなか踏み出せないことが多かった。

これまでそうやって気持ちの折り合いをつけていくことで、失敗やら恥ずかしさから逃れられてきたが、残ったのは虚しさだけだった。自分には何も無いという虚無感に苛まれる。

Instagramのストーリー機能を使い、日記や自分の考えたことをアップすることは何度かあった。反応やコメントを貰えて嬉しく思うが、内容云々の前に「私」というフィルターがあって、反応の内には純粋なもの以外に付き合いでくれているものもあるだろうと思い、相手の気持ちはわからないが段々とそれが煩わしくなってきた。「反応くれて嬉しい!有り難う」が「うわーまた反応してくれて申し訳ない」に変わりつつあった。

そういうフィルターなしで、考えたことやその日あったことを垂れ流せたらと思ったのが、noteで日記を始めたきっかけだった。

私を知らない人が内容だけを読んで反応してくれる、何気ないものでもその純粋な反応が嬉しい。こんな駄文日記にも目を通してくれる人が居ることが嬉しい。始めて良かったなと思う。

こういう風に書くとめちゃくちゃ沢山のスキを貰ってるスーパークリエイター(noteのユーザーのことクリエイターって呼ぶのであってる?)みたいだけど、投稿のうち9割が0反応だ。駄文でしかないから仕方がない。少ない分、反応貰った時の嬉しさ倍増だね。


今日友人が送ってくれたアイシングクッキー、線がぐらついてしまっている部分もあったが、ご愛嬌だ。

まだまだこれからだから、私も友人も。

この日記をいつまで続けるのか決めかねているけれど、自分の考えや感じたことを納得いくレベルで表現できるようになるまで地道に書き続けていこうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?