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息を止めて走る

 小学4年生がもうすぐ終わる3月のある日。朝礼、私は先生に促され教室の大黒板の前に立つ。
「今から甲太郎くんがお父さまの話をしてくれます。よく聞くように」
 不思議な感情に襲われる。自分自身が経験していないことを、どうやって級友たちへ伝えればいいのだろう。井上靖の『しろばんば』を思い出し、小学校の昔、明治時代ごろの校名を思い出す。なんか、こういうところが田舎の学校だよなぁ、と思う。

 その前日、学校から帰ると母がテレビでワイドショーを観ている。上空からヘリコプターで撮った映像、ビル街の道に救急車が数台並び、青いビニルシートが敷かれている。人が倒れている。場面は切り替わり、地下構内に倒れている人が映る。死者が出ているらしい。母は告げる。「地下鉄でサリンが撒かれたらしい」そのとき思い出したのは前年の松本サリン事件のあと母がマスコミの「犯人=オウム真理教」説を「宗教団体がそんなことするわけないでしょ」と一笑に付したことである。ワイドショーに洗脳されていた私は春炬燵に入りながら、もしかして地下鉄にサリンを撒いた犯人はオウム真理教では? と思う。 つづけて母は告げる。「お父さんが乗っていた地下鉄にもサリンが撒かれたらしい」父さん、死んだのかーと思う。父の勤務先の最寄り駅は新御茶ノ水駅だった。

 17時前にその父は帰宅する。着替えながら話をしてくれる。同僚と地下鉄に乗っていたら急に視界が暗くなる。停電とかで照明が落ちたのかなと思う。駅で降りて地下鉄サリン事件が起きたことを知る。地上へ出て病院へ行き点眼薬をもらう。だいたいそんなことを聞く。

 朝礼では父から聞いたことを朝礼でそのまま話す。拍手があがる。なぜ拍手? 先生に促され席へ戻る。ふつうに一時間目の授業がはじまる。それからの私はふつうの小学生として生きる。彰晃マーチを木琴で演奏できたし、新興宗教ゴッコ遊びもする。頭のいい人たちが集まって世間を驚かせたことに憧れを抱く。まだエヴァンゲリオンも酒鬼薔薇聖斗もない時代だ。父は何度か通院する。

 事件から数日後、春休みがはじまると春期講習のために千代田線を使う。なんだか空気が怖かったので、駅の構内では地上に出るまで息を止めて走る。息継ぎは一回まで。

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