【書評】『バートルビー 偶然性について』:ジョルジョ・アガンベン
近代の民主主義に基づいた市民社会では、生得的に「権利としての自由」がある(ことになっている)。そのなかでも、具体的な行使が保障されている権利は、もっぱら積極的な行為としての「~する自由」だ。
もちろん「~しない自由」もあるには、ある。たとえば「黙秘権」。だが、発言の自由が認められている場で「あえて話さない」のは、ときに第三者に対して否定的な印象を残す場合がある(「発言できない“何か”があるからではないか!?」)。
では、消極的な自由(~しない自由)の積極的な行使は、権利に