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文學の神に愛されて居る訳では無かった。

靑白い顏をした幾野君は卓の前に僕が座ると「ああ君か、よく來てくれたね。有難う」と云ふ。
「どうしたんだい」と僕は笑ひながらミルクティーに蜂蜜を注ぐと木のマドラーでかき混ぜた。肉桂の香りが彈む。
「僕が小說を書いて居ないと不仕合せになる體質だと云ふことは、君も知つての通りだが……」
「ああ、さうだつたね。君はいつもさうだ」
「此れは唯の强すぎる野心や自己顯示欲に由來するものだと思つて居たけどどうやらさうではなかつたらしい」
「どう云ふことだい?」
幾野君がかう切り出した時は僕には此れより他に言ふ言葉はない。
「これもまた荒唐無稽な話だけど、此様な事は君にしか言へない。ひとつ笑はずに聞いてもらへないかな」
さう言つて幾野君は抹茶ミルクを一口飮むと、此様な話を始めた。

小說を書いて居ないと何時も焦躁感に襲はれて狂おしくて居ても經つても居られなくなる。

小說を書く時閒が取れないと鬱狀態になる。生きてゐる價値がないやうに思ふ。小說を書いて居ないと、ちやんと仕事をして居たり、人と交流してゐたり、公的手續き等々をして居たり、何かしらの社會的な活動で忙しくして居ても「何もしてゐない」といふ氣持ちになる。7時閒以上を週5で働くと創作活動が思ふやうに出來ないから何時だつて泣きながら通勤して仕舞ふ。

小說がスムーズに進んでゐたら人生が全てうまく行つてゐるやうな氣になる。うきうきでご機嫌で在る。

魂を込めた作品が滿足行く出來で完成したら、性的快樂を超える快感が全身を包む。2、3日ほど。これが何時も在るのなら、セックスはいらないのではと思ふ程に。

小說が思ふやうに捗つて居ると、神樣や宇宙と繋がつてゐる氣がしてとても心地よかつた。

だから僕は自分が創作の神に愛されてゐるのだと思つて居た。中でも僕は小說を書くために生まれてきて、それが天命なのだと思つて居た。

けれども違つた。僕は別に神に選ばれし小說書きでは無かつたのだ。

生まれる前の人生で、僕は小說をもつと書きたかつたと悔いを殘して死んだやうだつた。何度もそんな夢を見た。「これからもつとたくさん描かうと思つたのに!!」死んだ直後の自分の亡骸を見て、さう思つて悔やんでた。どうしやうもなく悲しくて辛かつた。余談だがつい先日、調べ物をして居て僕が死んだらしい病院の写真を見付けたのだが夢に出てきた病院と雰囲気が凄く似て居たよ。矢張りあれは唯の夢や妄想ではなく本當だつたのか、と思つたものだけど、否昔の病院なんて皆似たやうな物なのかとも思わなくもないが。

閑話休題、その時の思ひが在るから、僕は小說を書かなくては!と强く使命のやうに思つて居たやうだ。恐らく僕は今囘の人生ではたくさん描かう、と思つて生まれて來たのだらう。だからこそ、ネットがあつてプロアマ問はず誰でも小說を發信できる時代を選んで生まれてきたのではないかなと思つてゐる。

前の人生で僕は編輯の仕事をやりながら自分も小說を書いて居た人だつたやうで、仕事はほぼ編輯だつたけどこれから小說を頑張るぞ!って云ふ所で死んでしまつたらしい。僕の「早くそれなりの小說家にならなくちや」といふ焦りは、此の頃の地位にまで戾つて、あの時の續きから人生を始めたいといふ氣持ちからだつた、と最近になつて氣がついた。小說家にならなくちやといふ焦りはあるけど、ヒット作を飛ばさなくちやとか全集を出すやうな作家になりたいとかではなく、偉くなくても多くの人に讀まれて文壇の片隅にゐて、氣の合ふ作家と仲良くして過ごせれたらなあ……といふのが僕の「小說家になりたい」の內譯だ。

ハードカバーの立派な本が出したい譯ぢやなく、文庫で手輕にいろんな人が手に取りやすい本を出してもらふ方が嬉しいなあと思つて居た。この點に就いてももしかしたら前の人生からの思ひが繋がつてゐるのかもしれない。新進の作家である僕が生前に出した唯一の本はひょっとすると文庫サイズが1册……といふことが在るかもしれないね。なんて。

僕が小說を書かないと自分のことを無價値だと感じて精神的に死んでしまふのは、前世に殘した後悔からで、今囘の人生では前の人生でやり殘したことをやるために生まれて來たからそれが出來て居ないと自分の人生に價値がないと感じてしまふのだらう。

僕は神樣に選ばれてゐる譯では無かつた。全然そんなんじゃ無かつた。神樣は僕に「小說を書く」なんていふ使命を與へては居なかつた。むしろ神樣は僕に何の使命も與へて居ない。

僕の心の中にゐる神樣は甘露寺蜜璃ちゃんみたいな笑顏で「たくさん樂しんで、いつぱい幸せになつてね」つて言つてゐる。ただそれだけだ。

僕が小說を書きたいのは、生まれる前の人生でやり殘した事の續きがしたいからで、來る筈だつたあの季節の續きを生きたいのだと思ふ。
僕は自分自身で「小說を書く」つて決めて生まれて來たのだ。

今の僕は性愛小說ばかりを書いてゐる。此處に辿り着くまでに澤山いろんなものを書いた氣がするけどこれが自分の道だと悟つた。
前世の僕が書いてゐたものは無論性愛小說などではないけど、あの頃はそんなものを描いたら發禁になることを思へば、此の時代を選んできたのも必然だつたのかもしれない。僕が前の人生から好きだつたやうな小說……さう言ふのを書いてみた時期とあつたし、今でもさう言ふのなら澤山書ける氣がしてゐるけど、それを書いたとしてももう何にもならないと言ふ感覺がある。趣味で書くのも良いかもしれないけど。僕は何処かで、もうあの樣な作品は卒業で、自分にとつて新しいものを描きたいと思つてゐるのだらう。

さういへば、何かを作るからには少しでも新しいものを、と言ふ思ひは少なからずある。實際それが成功してゐるかはさておき、少なくとも自分にとつて何か新しい試みがないと退屈で書いてられないのだ。

だから過去に書いてゐたやうなものは僕にとつてはもう退屈で全く書く氣になれないのかもしれない。あ。さうだ。新靑年への挨拶で「新しいことはなんと素晴らしいことだらう!」と渡邊溫が書いてゐた。僕にもきつとこの精神が宿つてゐるのだらう。なんせ僕はモダンボーイの生まれ變はりだからね。

神樣に選ばれた譯ではなく僕はただ後悔だらけの人生を生きた男だつたと言ふ譯だけど、それを知る事で妙な焦りや足掻きもなくなつて地に足をつけた創作が出來るやうになつて來たよ。

神に選ばれてはゐないけど僕は今日も少しづつ作品を仕上げていかうと思ふんだ。


=了=

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