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港区女子に憑依された友達の話
「そうダス!あたすが港区女子ダス!」
顏を上げるなり彼はさう言つた。黑い山高帽に濃灰の麻のスーツを着たこの人はどう見ても港區女子には見えない。
けれども頭を上げたその瞬閒から、彼の顏つきは變はつてをり、僕は直感的に「嗚呼この人また憑依されてゐる」と確信した。
港區女子と名乘るその人は話を續ける。
「アタスが港区女子やってたのは芝浦埠頭!解る?田町から徒歩25分くらいの電車も何もないところ。船乗りだったうちの父にはお馴染みの場所だったらしくまあ、そう言う寂しいところだよ。アタスの通ってた職場はコンビニも何もなくて昼食はいつも駅前で買っていった120円の特大コロッケパン。安いお金で如何にお腹いっぱいになるかってことしか考えてなかった。スイートブールもいいと思ったけどあれは味がないからダメ!」
港區女子を名乘るその人は、ふぅと息を吐き目の前の水を二、三度喉を鳴らして飮み下した。
「飲み物はエルビーの紙パックのお茶。着ている服は中野で買った500円の服と300円の服。そんな毎日」
自稱港區女子のその人はテーブルの前に前傾姿勢を取り、前のめりで僕に向かつて話を續ける。
「誰も話す人がいなくてね、会社が出してるシャトルバスに乗ると気まずいから、毎日真っ赤な顔して25分ほどの道のりを走ったり歩いたりしてたっけ。そういう負担とストレスが続いて、身体を壊した。年末には辺りのビルで働く人も誰もいなくて、ゲームの中の街のように誰もいない綺麗な街をクレイジーケンバンドを聴きながら歩いて帰ったことを思い出すよ。ぱ、ぱ、ぱ、とファイヤークラッカーっていう歌ね、あれGTが好きでアルバム買って聴いてたんだよ。懐かしいなあ」
目の前の人は唐突に背もたれに體を預けて、天を仰いで目を閉ぢて言ふ。
「そう、もう20年も前の話。港区というとあの街並みを思い出すわ。港区芝……ならよかったけど、芝浦は本当に寂しい街並みだよ。今はどうなってるのか知らないけれど」
さうして「は、は、は」と乾いた聲で高笑ひすると、目の前の山高帽はまたガクッとうなだれて、そしてゆつくり顏を上げた。
「ん……? どうしたんだい……?」
顏を上げると何時もの腑拔けた顏の幾野君である。
「いや、なあに、君はまた少し憑依されてゐたやうだよ」
「えっ、怖いなあ。一體誰に?」
幾野くんは眉を顰める。
「港區女子」
おしまい。
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