抗いに代わる強さ-日向坂46『ガラス窓が汚れてる』-

 『ガラス窓が汚れてる』の"僕"は教室の窓に現実を重ねながらも、"夢"や"希望"をどうにかして探し出そうとしてるようにみえた。
"やる気のない3年生"の歌詞が妙にイメージできる。
"大きな声出し 叫ばなくても
先生たちを指さそう"
教師に教えてくれよって投げかけるところに、強引さがありながらも、教室はそれが全てだと思わせるような場所だったなと思った。
学生時代に毎日向かう場所は学校で、学校でも人間関係はあるしどこか感じる不自由さも、その世界の狭さにやるせなさもあった。
"学生のうちに遊んどいたほうがいいよ"と耳にするたびにどこに自由があったよ?と思ったりしてた。どこかにぶつけられるそういう意味で自由だったのかもしれないけれど、青春て呼ぶやつふつうに静かに終わってた。

この楽曲の秋元節があって好きだなと思った一節

ずっと 何も届いてない
僕は毎日 目を皿にして
そんな日常 生きている

日向坂46『ガラス窓が汚れてる』

 この"僕"は未来をみることを全く諦めてなんかないんだっていうのが強くわかる歌詞だと思いました。
どこに求めてるものがあるのかわからないけど、
わからないなりに大きく目を開いて見つけ出そうとしてる姿が、ラスサビのダンスにも必死さやあがきが映し出されてるみたいだった。
どうしたいのか自分でもわかってない自分は確かに何かに振り回されていて、その何かこそ、自分自身だってことはわかっていて。
向き合うことができなくて、その感情を周りに向けていたこと。
 学生時代の青春につながる"若さ''って、どこか"若さ"="普通さ"に代わるものにみえる。
自分の若さ(なんだってやれるっていう底のない謎のエネルギー)を周りがすり減らしていくと思っていたけれど、自分が若さを一番消費していたんだと思う。
若さ以外の強さを手に入れる時は"変化"を受け入れるときなのかなと思う。抗うことや反発していた時よりも冷静に鋭さだけじゃ動けないと受け入れた姿はもっと強いような。
そんな姿を日向坂で見たくもなりました。
この曲を聴いて振り返ってみると、学生関係なく生活のほとんどが社会のなかにあると思った。


表題曲『Am I ready?』とは真逆の楽曲に驚いたし、この二つの楽曲を聴いたら、だれが聴いたって違う日向坂だってわかる。
いろんな姿を見せられるのってめちゃくちゃポップだと思う。
この子こんな顔もするんだ!ってちょっとしたアハ体験みたいな瞬間があって、それが推すことの楽しさに繋がってると再認識しました。
それと、日向坂の違う一面を見せるような楽曲を秋元さんが日向坂に向けて書こうという意識がまだあるんだと思うとちょっとうれしかった。
作曲家や作詞家、映像監督、振付師、メンバーの思いがそれぞれ通じ合っていることなんて稀なのかなと感じるところもあるから、やっぱり楽曲に歌詞、MV、ジャケ写まで通じているとどこか安心する。

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