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220610

そもそもひとというものが完璧なわけがないのに、その一部である器官ですべてが認識できているような、それらがまるで世のすべてとしてふるまわれているような。おおくを目にするたびつみかさなってゆくちいさな違和感。そんなときにふれた養老孟司先生のことばのなかに、わたしたちが自然と受けいれている事柄の大半が不自然なものかもしれないと疑ったことはあるか、という旨の問いがあり、全身全細胞がふるえるおもいがした。さいきん見えないものについておもうところが多々ある。スピリチュアルとの形容はすこしちがうかんじ、ただ生きものとしての不完全さをあらためて自覚したくなったというか、じぶんには見えないもの気づけないものがたくさんあることを忘れないようにしていたいというか。まあ、そんな、とりとめもないはなし。

仕事おわり、義務の小休止に安堵するはずが、茫漠としたここちのままにいる金曜の夜ふけ。みな元気でいるだろうか。こころやすまらぬひと、からだやすまらぬひと、どちらもくたくたなひと。せめてじぶんに関わったひとたちがすこしでもおだやかに過ごせていますように。