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贈りものひとつするにも形式だけでうごくのが苦手で、きもちがほんとうに向いていないうちはどうにも進展せず。春からのばしのばしにしていた親友への出産祝いは、秋になってようやく贈ることができた。しばらくしてやってきた内祝は見目もお味も素材までもぬかりなく、せわしないなかでも失われないそのセンスに脱帽しながら、どこか遠くへいった存在がまた見える位置に立っている気がした。先日息ぬきにつきあってと言われたお店はあいかわらずのカレー屋チョイスのまま、一年以上ぶりに会った彼女は髪がみじかくなったくらいで話すことも変わらず。去り際にわたされた紙袋には、誕生日ふたつぶんのプレゼントとチョコレートがはいっていた。

「私が男だったら抱きたいくらいあなたが好きだよ」ということばがおもいおこされもどかしくなる瞬間がある。あらゆるできごとでどんづまりだったわたしに、おだやかな彼女が叱咤激励のちにおくった一文である。当時とち狂っていたあたまのなかにもすべりこむ強烈な右ストレート、というよりは小突かれてもまったく痛くない肉球で。わずかな爪先からにじんだ血も見えないほど暗澹たる日々のなか、かさぶたになりようやく気づけたものだった。その痕もなにもかもいまはただなだらかな皮膚に埋もれている。しわくちゃになったお互いが変わらずスパイスカレーを囲んでいたならば、そのときにはあのことばをおぼえているか、たずねてみたいとふとおもった。

歓喜の内祝をたいせつに贈りたいと迷っていたかたへの品と決めきるに乗じてじぶんの分までもちゃっかり注文す。たのしみに待っている。すでにおいしさを知っているプレーンのはしっこと。食べたことのないスパイスの、未知のカスティーリャ。