11年間、喉に刺さっている小骨

11年前の3/11から、ずっと喉に刺さったままの小骨がある。怒られそうでなかなか人に言いにくかったのだが、もう11年も経つしそろそろいいだろう、と思うので書いてみようと思う。

毎年、3/11になるとそわそわと落ち着かない気持ちになる。私はちゃんと、正しい振る舞いができるだろうか?と。

11年前のこの日、私は京都にいて、震災の影響といえば電車が少しだけ遅延したことくらいで(むしろ京都で電車に影響が出たことに驚く)なんの現実味もなかった。地震発生のまさにその瞬間、私は一人で電車に乗っていて、大して情報収集スキルもなかったしそのモチベーションもなかったので、どうやら東北で大きな地震があったらしい、くらいの認識しかなかった。

私は、何か深刻な出来事が起きたときに「心配だ」「悲しい」という態度を取るのが苦手だ。多分無意識に、そうしたところで事態が何か良くなるわけでもないのに、と思ってしまうのだと思う。そしてこういうとき、私は敢えて能天気なことを言ってしまう癖がある。もちろん、他の人が「心配だ」「悲しい」という態度をとるのは構わないと思う。でも、他人にも同じ態度を求める人、それをしない人のことを責める人も世の中にはいるので、少し困ったことになる。

その日も私は、Twitterで能天気なことをつぶやいていた。確か、弟(オタク)が関東に住んでいたので「きっと弟の家では棚のフィギュアたちが大変なことになってるんだろうなぁ(笑)」くらいの軽口を叩いたのだと思う。即座に「そんな能天気なことを言っているような事態じゃない!!」とお叱りのリプライが来た。大学の同級生だった。まさかこんなツイートで怒られるとは思っていなかったので心底驚いた。と、同時に、あぁまたやってしまった、と思った。

深刻な状況で能天気な発言をすることは、一部の人たちからは、しばしば不快に思われるらしい、ということはそれまでの経験からなんとなく知っていた。過去に何度も人でなし扱いされてきたから。

当時の私は、東北に知り合いがいるわけでもなく、関東にいる弟の無事も母親経由で知っていたので「大変なことが起こってそうだ」という認識はあれど、それ以上の感情は特になかった。東北に身内がいる人ならともかく、見知らぬ他人を思って「心配だ」「悲しい」と言える人の気持ちは未だによく分からない。仮にそこに身内がいて「心配だ」「悲しい」と感じていたとして、その感情を他人にも求める人の気持ちもよく分からない。震災発生の翌日以降も様々なバッドニュースが続き、しばしば「不謹慎」という言葉が使われていたあの時期を、何かと不謹慎な言動を取りがちな私は、どうにも居心地悪く過ごしていた。

その年の3月後半は偶然、私にとって節目となるできごとがあったり、表彰されたり、誕生日があったり、個人的に記念すべきできごとが多かったが、いずれも、振る舞いを間違えて叱られそうな気がして居心地が悪かった。

東日本大震災から時を経て最近では、非常事態が起きたとき、深刻な情報だけを取り入れることは精神衛生上良くないので、ごく普通の、日常の、能天気な話をすることも大事ですよ、というようなことも言われるようになった。だが当時は、少なくとも私の記憶では、そういう雰囲気ではなかった。敢えて明るい話題を振ることや、能天気な発言をすることは不謹慎であると受け止められることも多かったように思う。

あの頃の記憶が、11年経った今も喉の奥に刺さったままで、震災や戦争などのニュースに不安や悲しみを表している人たちを見ると、少し落ち着かない気持ちになる。また言動を誤って叱られるのではないか、と。ロシアのウクライナ侵攻についても、日本にとって明日は我が身かもしれないという思いはあれど、それ以上の感情はなく、悲しんだり嘆いたりしている人たちのことを、やっぱりよくわからないなと思いながら眺めている。

(念のため申し添えておくと、よくわからないだけで、悲しんだり嘆いたりすることを非難したり止めたりするつもりはない。世の中には、自分とは考え方の違う人、よくわからない人がたくさんいて、それが当たり前のことだと思うから。)

今年も3/11はおとなしくしていようと思う。このnoteも、3/11に投稿するのはやっぱり気がひけるので、明日、3/12になってから投稿するつもりだ。

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