見出し画像

 保育園、幼稚園、小学校などで、ありがちな作文のテーマ「将来の夢」。まだ幼くて世間のことや自分のことさえよくわかっていない私からしたら、将来自分が何をしているかなんて分かりやしないし想像もつかない未知数なものだった。作文の宿題が出たときには、まず自分が将来なんの仕事をしているのか、について1時間くらいかけて悩み、そしてやっとこさ思いついた職業についてパソコンでポチポチ調べて、そして調べながら「なんで自分のやりたい職業のことを今調べているんだろう」とか「本当に私ができるのか」とふと思って結局母親に「無難な職業って何?」とか子どもらしくない質問をする。私はそんな子どもだった。とにかく“普通“を求めた。どこかの会社員なんか書いて理由とかも適当に作り上げて、別に大して深い思いなど持たずに先生に提出した。クラスの子の作文が先生に褒められているのを見て少し羨ましく感じたこともある。

 小学生の頃私は一時期学校に行けなくなった時期があった。原因は同じ町内の子達によるいじめ。当時住んでいた町はお祭りが盛んで嫌でもその子たちに会わなくては行けなかった。また、集団下校というのが時たまあってそれも苦痛だった。学校に行く時はひとりで俯いて30分歩いていき、帰りもひとりで帰っていた。別に友達がいない訳では無いが、仲のいい子達は正反対の方向に住んでいたためいつもひとりだった。でも悲しくなんてないしひとりでも平気な方だった。
 苦痛なのは帰り道に待ち伏せされて捕まえられてずっとグチグチ嫌な事を言われること。わざわざ目の前で耳打ちしたりされること。学校でも違うクラスだと言うのに私のクラスの前でちらちら見て大きな声で私の悪口を言うのだ。残念なことに今でもコソコソ誰かが話していると自分の事を言われているんじゃないかなんて考えてしまうくらいにトラウマになっている。

 学校に行けない。家に帰りたくない。教室に行きたくない。そう母親に泣きながら話した。母も連絡帳を使って先生に言ってくれたが、5年間変わらなかった。保健室や図書室に入り浸って先生と話したり本に没頭したりして過ごした時もある。わざわざ放課後にギリギリまで図書室で時間つぶしもした。その結果、司書の先生とは好きな本を語り合うまでになり、スクールカウンセラーの先生とは恋バナなんてしたりもするくらい仲良くなった。
 とある日、スクールカウンセラーの先生と喋っている時に言われたことがずっと心の中に残っていた。「○○ちゃん(私)はいつもニコニコしていて話を聞くのが上手だね」と。初めて言われたしびっくりした。確かに私は人の話を聴くのが好きだったが、笑顔だったのは無意識だった。それよりも自分が褒めて貰えたことがすごく嬉しかったことを覚えている。父は仕事で遅くなることが多く、母はまだ幼い妹の面倒を見たり出産後で疲れやすくなったこともあり、家族が自分に構ってくれる時間がなかった。それが普通だったし両親はきっと照れ屋で褒めるのが苦手だったのかもしれないが、その先生の何気ない言葉にすごく救われた。そこから私は「誰かを助けるような人になりたい」と思うようになった。

  小学6年生の時に引越しをした。正直不安で友達もゼロから作らなければならない。人見知りで怖がりだった私には、友達を作るなんて難しすぎた。もちろんその時に話しかけてくれた子とは今でも仲がいいし信頼している。でも、そこでも運が悪かったのかいじめの標的になった。今まで仲の良かった先生も図書室の先生もいない。なんでこんなに嫌われるのか、何が「普通」で何が「おかしい」のか、分からなかった。私が何をしたというのか。分からないまま卒業式を迎え、そのまま中学へと進学した。

 私はいじめられやすい体質だったのだろうと思う。オドオドしていて俯きがちでちょっと人より変なところがあったのかもしれない。中学も全然知らない人から露骨に嫌がらせを受けたけれど、あまり辛くはなくなっていた。あぁまたか。何が気に食わないのか分からないが好きに言わせとけ。と割と図太くなった。けれどいじめのトラウマはずっとずっと付きまとうようになったのだ。
 1つ目、周りの目が怖くなって人の前に立つことが出来なくなった。2つ目、人を信じられなくなった。3つ目、自分の趣味をこそこそ隠すようになった。4つ目、周りの人を傍観して斜に構えてきちんと物事に向き合わなくなった。5つ目、自己肯定が出来なくなった。6つ目、素直になることが恥ずかしいものだと思うようになった。
 今はそのトラウマを克服するのを頑張っている。好きなことを好きだと伝えること。私を誰かが批判したとしても自分だけは私の味方だと思うこと。誰かが私の言葉で笑顔になれるような言動をすること。
 今目指している夢も「誰かの心の支えになれるような人」になるための挑戦である。
 公認心理師、臨床心理士という資格をとること。接して容易ではない道だ。まず大学に通って心理の基本を学び、そこから大学院に通って国の定めるカリキュラムを履修したあと、臨床心理士の民間試験と公認心理師の国家試験をクリアしなければいけない。今まで苦しいことから逃げてきた自分を乗り越えなければいけない壁だ。私のように苦しい思いや辛いことがあった人のために何が1歩前に進むきっかけになれたらいい。そして、数年後には今までの苦い思い出が笑い話になっていればいいのだ。
 別に普通じゃなくていい。人より忘れっぽくて不器用で天邪鬼でも私は私だから。なんならいじめっ子たちに感謝を述べたいくらいだ。こうやって私を強くさせてくれてありがとう。夢を見つけることが出来たのはお前らのおかげだ!と。「お前ら」なんて言葉を使うのはやっぱり多少私怨も含んでいるから。
 そして、世の中のことを知ったあとの私にこの文章を読み返して、大笑いしていて欲しい。何も知らない学生のくせに何を偉そうに!なんて言って笑い飛ばして欲しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?