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#12 言志四録 佐藤一斎 #読書感想文

佐藤 一斎(さとう いっさい、安永元年10月20日(1772年11月14日)- 安政6年9月24日(1859年10月19日))は、美濃国岩村藩出身の儒学者。
・人を見るときは、その優れたところを見るべきで、短所をみてはいけない。短所を見れば自分が優れているので、おごりの心が生じ、自分のためにならない。だが、長所を見れば、相手が自分より優れていることがわかり、これに啓発され、励まされるから、自分の利益となる。

これは物凄い考え方だな。確かにそのとおりだなと思う。他人の長所を見たほうが自分にとってもプラスに感化されるだろう。ではどの様に人の長所を発見するのか?常日頃から気を留めておかなければならない。その時に自分にとって良いからという判断基準は必要ない。ではどんな判断基準が必要なのだろうか?できれば相手がその才能に気が付いていないことを発見するのも面白そうだ。何となく分かった気がする。”自分には無い才能が相手にある時”それが判断基準となり得る。ということは自分というものを良く知るという事も同時に重要になってくる。

・人情が自分に向かうか背くかは敬と慢の違いにある。すなわち、尊敬の念を持って人に接すれば自分に向かってくるし、あなどる心があれば人に背かれる。また、人に対して恵みをほどこし、恩に報いる道も、おろそかにしてはならない。恩や怨は、どうかすると小さなことから起こるものだから、十分に考慮して、行動を慎むべきである。

同じ立場で同じ土俵であればやりやすいが、そうではない場合はどうすれば良いのか?そもそもなんで尊敬するのだろうか?相手の文脈も分かりその上で自分自身が素晴らしいと思っている事をしている時その様な感情になる。俺も頑張ろうと感化される。辞書で調べると、”尊敬(そんけい)とは、(他人の)人格や行いの素晴らしさに感じ入り、頭を下げるような、仰ぎ見るような、見習いたく思うような気持ちになること。”などという言葉がでてくる。なるほど。自分自身は尊敬は感動が伴うものでもあるとも思っている。それがなければ、ただただ形骸化され中身が無いようにも感じる。人を感動させるという行為というのはとても素晴らしいものだという事に気づかされた。その行為は尊敬に値する。


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