一日を日本人はどうして「ついたち」と読むのか
今年は海に行きましたかね?どこかにお出かけされましたかね?
昨日はお仕事でしたかね?明日の会議は何時からどこですかね?
クリスマスの予定はどうですか?お正月は実家に帰りますかね?
そのとき、カレンダーを見ましたかね?
人は、カレンダー(いわゆる暦)がないと、共同体として生きていくことができない。人のすべての營(いとなみ)は、暦の土台に成り立っているといってもいい
にも関わらず、日本人は暦の成り立ちや意味をほとんど知らずに日々を生きている
木を切るのは何日が良いか
毎週土曜日に、飯能の名栗というところで林業の手伝いをやっている。今は柱が裏材(みえない部分の建築材料)になってしまったので、あまり見た目を気にする必要がなくなってしまったのだが、昔は柱は表材(みえる部分の建築材料)だったので、見た目が良くなる日に切っていた
新月伐採
新月の日に切ったほうが、きれいなのだ。原因は水分量。満月の日は月の引力が強くなり水が木に引き上がりやすいのにたいし、新月の日は木が乾きやすい
じぶんは今、植木屋さんで平日はたらいているのだが、水分を含んだ草木と、乾いた草木なら、乾いてる草木のほうが断然刈り取りやすい。という理屈で、稲刈りは新月に行われる。そしてそのほうが稲にカビとかもはえにくく日持ちもしやすい
新月に収穫された野菜と、満月に収穫された野菜。どっちがみずみずしいだろうか。。。満月だ。水分量が豊富なのだ
日本には、一年を4つに分けた四季。のほかにそれを24つに分けた二十四節気。をさらに74に分けた七十二候がある。これほどまでに暦や旬、太陽と月からくる変化。に歩調を合わせて過ごしてきた民族もめずらしい
今日は12月17日。熊が穴にこもり、鮭の美味しい季節になりましたね👍昨日の夕飯は実家から送ってもらった蟹でした。ぜいたくな夕飯でした🦀
ある日突然、「明日から12月3日が1月1日です」
木の伐採は新月
稲刈りは新月
野菜の収穫は満月
イカ釣りは満月
夜祭りは満月
こういった営みの多くは、当たり前のように「月の満ち欠け」に人が合わせていた。むかしの人にとって月の満ち欠けは暦そのもの、とても身近な存在であった
というのも、一ヶ月とは、もうほんとに文字通り、月の満ち欠け、そのまんまであったからだ
今から約150年前までは。。。
明治5年(1872年)の11月、ある日突然、明治政府に言われた
「来月の12月3日から、今までの暦をぜんぶやめて、太陽暦っていうのを使います!来月の12月3日が、とりあえず1月1日です!よろしくー」
もしオレその時代に生きてたら「えーーーーーーーーーーっ」てなるだろなw
それまでは、一ヶ月は、もう文字通り、「月の満ち欠け」だったのだ
朔弦望(さく・げん・ぼう)
朔日(ついたち)と読む。新月のことだ。つまり、月のはじめの日は、ついたちの日。新月のことだった
望の日(ぼうのひ)。満月のことだ。15日は、満月のことだった。
国立天文台は、月をじっくりじっくりと観察して、何分何秒が新月(朔日)で何分何秒が満月(望日)。朔日(ついたち)はこの日だ!みたいなことをずっと調べてる
明治5年に太陽暦を導入してから、人は月を見なくなった。月を見ずにカレンダーを見るようになってしまった
朔日(ついたち)は、新月のことではなく、カレンダー上の1日(ついたち)となった。1日(ついたち)は新月とは限らない
あらためて、人として、シンプルに、思い改めてみてほしいのだ
一ヶ月っていう言葉に、ちゃんと”月”が入っているのに
月は超大昔から一定のリズムで月の満ち欠けを繰り返しているのに
すっごい分かりやすい大昔からあるデッカいTHE時計なのに
それを無視してカレンダーと腕時計をみて生活するのって、なんかちょっと変な感じしませんかね?w
15夜は秋の満月のことだ。この日にはイスラエルでは仮庵のまつりというのが行われているのだが。15夜なのに、15日じゃないw。っていうだけでなんかもう変じゃないですかね?150年前までは文字通り15日だったのに
150年前までは一日を正確に刻む太陽と一ヶ月を正確に刻む月をみて営みを決める太陰太陽暦を使っていた。月のリズムと太陽のリズムは一年で11日ズレるので、うるう月として3年に一回調整していた。現在は月の満ち欠けをみない一年間の太陽を365当分したサイクルを使っている
支配者は、どうして「月と共に歩む暦」を日本から遠ざけたのだろうな
聖書や日本書紀にある暦のはじまり
聖書(出エジプト記)にはこうある。紀元前1500年前の出来事
エジプトの王(ファラ夫)がイスラエルの民に重税と重労働をかしまくってた。みかねた神がモーセという人物をつかってエジプトからの民族大脱出を決めた。めっちゃかたくなに拒み続けるエジプトの王にモーセをとおして神は言った。「こんど拒んだらエジプト中の長男が全員、病とかで死ぬから」
イスラエルの民の長男まで死ぬといけないので、長男が死なないように家にしるしを神は授けた。家のかもいと両側の2本の門柱を、赤く羊の血で塗れ!⛩。門戸のことをヘブライ語で「トリイ」というw
長男が死にまくって大混乱のエジプト。その月の望月(いちばん明るい夜15日)に、イスラエルの民は混乱に乗じてエジプトを民族ごと大脱走した
その日の夜、マツェ(モチのようなもの。パン種を入れて膨らませている余裕がなかった)と苦菜(七草のようなもの。余裕がなくてそこらへんにはえている食べれる雑草を添えた)を食べる儀式を続けるようにと神は命じた。これを災難が過ぎ越した記念として、過ぎ越しの祭りという
暦のはじまりは、ここに書かれている
日本の歴史をみてみる。日本書紀19巻にはこうある
29代天皇、欽明天皇14年(553年)の時代
百済から固徳王保孫っていう暦の博士が来日
推古天皇(602)の時代
百済の僧観勒かんろくが来日、暦本などを献上
このころから、暦が存在していたものと、推測される。
ちなみ、推古天皇のサポート役が聖徳太子(厩戸のみこと)であり、その側近が、秦野河勝である。過去のnoteでも書いたけど戦前の教科書では超有名どころである
厩戸皇子や秦野河勝の正体は今回はさておき、大事な点は、欽明天皇のときに持ち込まれ、推古天皇のときにスタートした日本の暦は、イスラエルと同じ、月の満ち欠けをそのまんな一ヶ月とみなす、太陽太陰暦であり、その暦を1300年くらいはずっと守ってたということ
月、つくれますかねw?
努力を誇る人がいる
経験を誇る人がいる
知識を誇る人がいる
若さを誇る人がいる
資産を誇る人がいる
家柄を誇る人がいる
容姿を誇る人がいる
才能を誇る人がいる
成功を誇る人がいる
自分を誇る人がいる
そんなあなたは、月をつくれない
月が季節を刻むために作られたとは考えず、なんか偶然よくわかんないけどできた。と思ってる
バーンと偶然できあがって、たまたま人に生き物にぴったりな都合よいものが超偶然できましたありました。みたいに考えること(無神論)がかっこよくてスタンダードで知的ななにかだと思われている。そして神(創造主・第一原因)をみとめると、一気に宗教みたくなり、一気にうさんくさい非科学的な何かしらみたく扱われてる世界線
どんなに自分を誇りに思おうとも、どうせあなたは老いて朽ちるのだ、あなたの誇るその知識や肩書もビジネススキームあと持って30年てところだw。資産をあなたに用意したのも作らせたのもあなたではない。あなたはその家に生まれることを選んでいない。容姿をほこるな。あなたは両目両手両足があって健康な体と脳に生まれることを選んでいない
自分を誇る。自分を強く見せる。自分なりの人生を生きる。生きたいように生きる。そういう人生は、一見シャレオツなようでいて、最先端なようでいて、神からみたら滑稽だ。あなたはあきらかに創られた存在なのに、創られた理由をデザイナーに一切きかず、自分に聞くという選択。生かされている存在なのに、生かされていることに疑問もいだかず賛美もしない
神に気づいてほしい
そのキッカケとして、150年前までは当たり前だった、ぜったいに人では作れない”月”をみる習慣いかがですかね?超シンプル。新月が1日、満月が15日。そのサイクルが1ヶ月
今月の満月は、12月15日ではなく12月27日ですw
あと、日本の神さま(神道の神さま)とイスラエルの神さま(創造主のこと)がいかに密接に関係しているのかをちゃんと知りたい方はコチラ↓このnoteの5万倍濃い内容でお届けされていますw。薄い情報でよければ立野がひとまずお届けします。ふだんは仙川にいます。いつでもお越しくださいましm(_ _)m
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