孤独と老いというものについて思われる
ニンゲンは老いてゆき、そして二度と若いころに戻ることはない。肉体も脳が司る精神というものも。脳そのものが老い衰えるのだ。その結果が死というものである。
去年、40半ばにして独り身となってしまった。相手がまだ存命で子どもがいたなら、一縷の望みというのもあるのだが、どちらもないので、この現世においては困ったことになっている。
こうなると、ではどう孤独とともに生きていくかということになってくる。他のヒトを見つけてという選択肢もあるのだが、過度な期待みたいなものはしないようにしている。
いまとなっては社会人としてバリバリ働こうという気も失せたし、そういうようなニンゲンが恋愛をしようとすれば、対象にされたヒトに迷惑をかけるだけなのだから。
なのでなるべく、特に若いヒトに迷惑をかけぬように、孤独に老いることを模索していきたい。まだ私は恵まれていて、妹や弟、そしてその子どもである姪っ子や甥っ子がいて関係も良好であるのだから。
老いては子に従えである。幸いにも私には哲学というものがある。これを突き詰めるには、孤独な時間というのが必要になってくるのである。もちろん孤独にハマりすぎるのは禁物だ。中庸であることが肝要なのである。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。
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