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やがてくる死のためにどう生きるかについて思われる

 魂というものの存在を信じている。無論その実体をみたことがないので、確信ではないけれども。信じることと確信することは、また違うと思われる。

 信じるというのは確信と違って、そうではない可能性はあるけれども、そうなる可能性はあると考えることと僕のなかでは理解している。死後の世界を信じることは、この現世をどう生きるかということにも関係してくる。

 死後の世界があるから、きっとあのヒトはあの世から見守っていてくれる。そして自分が死んで再会できたときに恥ずかしくないように、いまをよりよく生きる。

 もし死後の世界がないとしてしまったら、ニンゲンはどこかで自堕落で自分勝手になり、かつ欲望にまみれた生き方をしてしまう。ヒトを殺してお金を奪って、ぜいたくな暮らしをしたとしても、バレなければいいとか。

 というわけで、魂の存在を信じ、墓参に夜勤の仕事が終わってから行ってきた。お花を供えて、今月も病気やケガもなく無事であったことにお礼をいうぐらいだが。彼女は花が好きだった。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。

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