どうしてYouTubeで発信する必要があるのか?
今、職業や地位や立場に関わらず、情報発信、特に動画での情報発信をする事が求められている。もしかしたら、求められているのではなく、各人にそのチャンスと必要性が提示されているだけかもしれないが。
もちろんその様になっていった原因は、あらゆる動画プラットフォームの台頭やGoogle主導によるSEO的な部分、そして5Gへと徐々に移行する流れの中で、世の中が動画の魅力や可能性に気付き、その需要が高まっているからに他ならない。しかしここではあえて別のアプローチから考えてみたいと思う。
人気者になるための条件
一体なんであろうか?容姿、才能、実績・・・などなど。確かにそれらを持っている人は人気が出やすいと思う。絶世の美女であれば、世の男性等は放って置かないハズだし、豊かな才能のある人は、世の中から称賛され、場合によっては戦争すら止めてしまう事だって可能かもしれない。そして人々は実績にひれ伏すものだ。しかし、それらを全て持っていなくても人気が出る人は少なからず存在する。
1:「自分」を貫いている人
思えば昨今人気の出る人というものは、こぞってこの部分が徹底されている。他人の意見などどうでも良いといった雰囲気である。もちろん、ホリエモンさんや、キングコングの西野さん、オリラジの中田さん等の様に豊かな才能に恵まれた上、自らを貫いて人気を得ているいる人もいるが、お世辞にも一般的に恵まれていない様な人すら、人気になるのはその人格を貫いている人の様に思う。その上でさらに共通している部分は、
2:「自分の考え」を発信している人
やはりどんなに素晴らしい考え方を持っていようが、それを世界に放たない事には人気を得る事は難しい。周りに気づかれなければ人気が出ないのは当然だ。そして、自分の考えを表に出す事は、人によっては非常に勇気のいる事だ。批判を浴びる恐怖を乗り越え、自ら進んで情報発信をする事はもしかしたらそれ自体才能なのかもしれないと思う。その時点で他の人より一歩抜けている。
YouTubeはこれらの点を実行するに絶好の場である
テレビ・ラジオ、新聞・雑誌などの既存のメディアはその肥大化に伴って、自由を完全に失っている。その点YouTubeは、(時にGoogleの意向はあるが)概ね自由だ。何を言おうが、何をしようが基本的には、アップロードした段階で全世界に発信される。そして、その発進した情報はどんどん蓄積され、「個人」のコンテンツとなっていく。
資本主義の世の中、やはり経済的成功が一つのゴールだと思う。そして、個人がその経済的成功を得るためには、どれだけファンが多いか、という事にかかっている。ぼくらの様な「何もない一般人」が、それを得るためには、今、YouTubeが1番の近道である。個人がYouTubeで発信する必要性はこの様な事から来るのではないかと思う。
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