今日のお題「GoToキャンペーン」

R2.7.29 課題
・7月22日よりGo Toキャンペーンが始まりましたが、これについて賛成ですか?反対ですか?理由も含め、考えを記入してください。


 散々矢面に立たされているGoToキャンペーン。野党の恰好の攻撃材料となっており、与党の政治判断が誤りだったと認めさせようという狙いだ。これは別に野党が良い与党が良いという話ではなくて、審議することに意義がある。政治は基本的に権力の高い側の決断が正しいとゴリ押しで通ってしまうので、こうした反対意見を公式に発言出来る団体は必要だ。
 野党はバカばかりで、与党の足を引っ張るだけ。いわゆる特定アジアと絡むだけで売国奴だと罵ったり、もう与党だけでいいじゃないかという声もよく耳にするが、それだとまた明治以前の幕府システムに戻るけどいいんですかと投げかけたくなる。実際我が国では首相といっても先代からの世襲のようなものだし、個人的には幕藩体制のようにエリートがエリートを育て、育ったエリートがまたエリートを育て…というサイクルでも全然構わないのだが。

 GoToキャンペーンについて、自分は賛成の立場だ。企業にとっての救済措置、消費者にとってのお得な措置は内容の良し悪しに関わらずに大々的に打ち出すのが政治の務め。こうした一大事の時に一番やってはいけないのは「何もしないこと」だと思う。ただ状況の回復を待つだけなら政治家なんていらないし、極論自分でも国を動かせる。ただ何もせず椅子に座っていればいいのだから。
 このキャンペーンに反対する意見のほうが圧倒的に多いのは承知しているが、具体的かつ論理的な反論まで言える人は少ない気がする。自分がコロナウィルスに感染するリスクが高くなるじゃないかという少し自己中心的な考えが連鎖されて、地域の安全、国の安全と主張が雪崩式に拡大している感じだ。
 問題はこうした施策は現時点での応急措置ではないと気がつかないところ。これは囲碁や将棋で言うところの「1手先」しか読めていない感じに近い。王手がかかればもちろん次の一手は逃げるしかないが、逃げ切ったあとにどうするかが一番の難所。いざこちらに攻めの手番が回ってきたという時に反撃する布陣を構築出来ておらず、呑気にじわりと攻め駒を動かしているようではまた第二波、第三波と王手がかかる。
 グローバル化で世界中と競争を強いられるこの現代社会において、事態が完全に収束するまで静観、その後にようやく方針を打ち出すようでは明らかに足が遅い。ここはそれなりにリスクを負ってでも形勢が上向いた時に世界を牽引出来るような布石を築くのが常識かつ最適だと自分は思う。

 自国や世界の詳細な情報を網羅出来ている与党には判断材料がいくらでもあるわけで、1手先どころかここは25手50手ぐらいの先を読んで「現時点で」最善と思われる手を打ち出しているはずだ。しかし野党や国民はそうした判断材料が乏しく、情報を得ようとテレビやインターネットを見ても、不安を煽るニュースばかり。結果的に失敗したら、この野党国民メディアの3勢力が固まって決断をした人物への責任を追及することしか出来ない。「我が党、自分ならもっと良い手を選ぶことが出来た」と断言できないのがつらいところだ。野球でヤジを飛ばしているのとさほど変わりない。
 もう一度言うが、結果がわかっていれば誰だって国を動かせる。先の太平洋戦争やリーマンショック、東日本大震災の原発事故なんかも、結果を知ってから「こうすれば良かったのに」と後付けで文句を言うのはナンセンスだ。

 今回のGoToはあくまでキャンペーンであって、強制的にどこかへ旅行しないといけないという訳でもない。行きたくなければ家でゴロゴロしてればいいのだから、我が国の象徴ともいえる「どちらでもいい」とならなかったのは少し意外だ。打撃を受けている観光やレジャー、宿泊施設に従事している人間なんて全体としてはそれほどいないし、しかも来てもらう側は万全の対策を講じた受け入れ体制を整えて臨んでいる。これだけの要素をもってしても反対反対となるのはさすがに視野が狭すぎると言わざるを得ない。どうせ自分が打撃を受けている側になったら手のひらをクルリと返すだろうしな。
 マスクを配るぐらいならカネを配れとも最近では言われているが、これもコロナに対する衛生用品に全額充てるでもなく、残ったお金は貯蓄や遊び代に消えるのは目に見えている。大災害に遭った時、カネよりもモノのほうがよっぽど大事なのは身を持って学んでいるだろうに、マスク不足やトイレットペーパー買い占めで大混乱だった半年前をもう忘れてしまったのか…。
 せめて反対するなら「配るな」で終わってほしい。ここまで社会保障が完備されている我が国でカネよこせまで言うのはさすがにワガママ。辛口だが民主主義、衆愚政治の恐ろしい面が自分の目に映ってしまった。

 今回のキャンペーンで教訓を得るとするならば、利己主義から利他主義へと考えを改める良いきっかけが作れたといったところか。共に助かるか、共に倒れるか。人間性が試される施策だ。

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