今日のお題「心がけていること」

課題
普段の生活の中で心がけていることを書いてください。

 自分がこの障害になってから、人生の半分が過ぎた。つまり人生の半分はよく眠れず、死にたい気持ちが頭から離れず、波の酷い時には過食や拒食、自傷を繰り返している。抜毛に至っては、小学校の低学年から発症していて、同級生からのあだ名は「毛抜き」。
 先生方や親にも注意されたが根本的なストレスがなくならない限りは治らない。髪の毛が多かったけど、まつ毛を抜くことも多かった。抜毛症は立派な自傷行為で、リストカットみたいに痛みで気分をごまかしたい、生を感じたいという意味合いが強い。抜くところによってはかなり痛いが、やっぱりスッキリするからなかなかやめることが出来ないのだ。

 そもそも、こうした障害を抱えている人間にとって「普段の生活」という概念がない。自分にとっての日常は世間の非日常、世間の日常も自分にとっては非日常。そもそも普通ってなんだ?と考え込んでしまう。
 当事者にしかわからないが、たまにグッスリと眠れた朝にやたらと元気がみなぎっていることがあるが、これを「確変」と呼んでいたりする。一般人なら毎日出来ていることが「確変」ぐらいの大当たりを引かないと出来ない。
 テレビやインターネット記事なんかでの健康情報は完全に一般向けだし全くもって意味がない。一人ひとりが薬も含めて人体実験の如く試行錯誤して一番良さそうなことをひたすら探していく感じだ。同じ睡眠障害でもやはり「コレが効く」というのは個人差があるので、そういう情報共有は結構積極的に行っている。それでも大体は「何やってもダメ」に行き着くが…。

 こうした物理的な要素で心がけていることは正直なところひとつもない。食生活も牛飲馬食の酷い有様だ。週末は固めて映画を観たりもするが、それも少しでも滅入った気持ちを紛らわせたい感じ。最近はその映画もだんだんとしんどくなり、トンデモ論なドキュメンタリーをBGMに寝込むことが多くなった。ベッドでは詰将棋とWikipediaが愛読書。
 これらに共通して言えることは「常に何か考えている」という点だ。元々考えることが好きなので、思考することがない、または考えることが出来ないという環境がとても苦手。平日は思考のいらない内職や施設外就労が苦痛で、休日となると「何かしなくちゃ」と焦りながら文字通り何かを探しながら無理矢理考え事をしている。どれだけ身体がしんどくても、脳の回転だけは止めるなと心の中のリトルおもちが叫んでいる気がする。これが自分にとっての習慣であり、無意識で心がけていることかもしれない。
 一番辛いのは、今やらないといけないことがあるのにしんどくて出来ず、つい楽な方へ流れてしまうことだ。辛いとわかっているから逃げてしまう、その判断をする自分への自責の念、その鬱々とした気分を紛らわせるために娯楽へ逃げて…という感じ。事業所でも度々言っている事だが、何も考えない時間をどうにか作ることが物理的にも精神的にも一番必要なことだと考えている。


Bruce Leeの名言のひとつに「Don’t Think, Feel.(考えるな、感じろ。)」というものがある。映画「燃えよドラゴン」で弟子に対して指導している時に放たれる言葉だ。この言葉には前後があって、そのやり取りを通して聞くと全く違う考え方になる。

「Kick me. We need emotional content. Try again(感情的にならなければいけない、もう一度やってみなさい。)」とLee先生が言うと弟子は先生を睨み思いっきり蹴りを入れる。

 先生はすぐさま「I said “Emotional Content”, Not anger! Try again with me!(私は感情的にと言ったのだ、ただの怒りではない!もう一度やってみなさい!)」と言うと弟子は少し間を開けたあと、何かに目覚めたかのようなキレのある蹴りを入れられた。
 
 先生は笑みを浮かべ「That’s it(そう、今のだ)」と頷き、「How did it feel to you?(どう感じたか?)」と言うと弟子は「Let me think(う~ん…ちょっと考えさせてください。)」と返したところ、先生はすかさず弟子の頭を引っ叩いて例の「Don’t Think Feeeel」とFeelをやたら強調したセリフが出てくる。

 さらにこの後、「It is like a finger pointing away to the moon. Don’t concentrate on the finger or you will miss all that heavenly glory. Do you understand? (これは月を指さしているその指を見ていることに似ている。指を見ているだけではその先にある月は見えないぞ、わかったか?)」と言うと弟子はなるほどなぁとなって先生に頭を下げるが、そこでまた引っ叩いて「Never take your eyes off your opponent, even when you bow.(絶対に敵から目を離すな、礼をしている時でもだ。)」と一喝。

 弟子はおそるおそる先生を見つめながら不思議な礼をしてようやく「That’s it(それで良い。)」となり修行が終わる。香港映画でも屈指の名シーンだ。こうしたオチまであるのがリー作品の特徴のひとつ。

 単純に「考えるな」という意味だけでなく、その真意を知るにはこの前後のやり取りが必ずいる。このリーの「考える」という動作は「動きを止める」という位置づけに近い。つまり何事にも考えていては動きが必ず遅くなるのだ。
 戦いはもちろんだが、日常生活でも「どうしようかな」となる場面はかなり多い。夕飯は何にしようか、今度買う服はどれにしようかといった具合に選択肢が多い分考える時間が出来てしまう。この数秒、下手したら数日はかかるタイムラグをなくすだけで生活はかなり洗練されると思う。自分もこの哲学を見習って、深く考えず直感的に、止まらず進むことを心がけていきたい。

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