先生!

先生
もう私のことは忘れてしまったかもしれませんが、このお手紙を読んでくださると嬉しいです。
お久しぶりです。最後に会ったのは5年前になりますが、いかがお過ごしですか。
私ももう大学3年生になり、お酒も飲める年齢になりました。
中学生の時、先生に対して失礼な態度をとったこと、それから先生とは楽しく話せなくなってしまったこと、よく覚えています。先生にとっては沢山いる生徒の中の1人だから埋もれてしまった記憶だとしても、私にとっては鮮明で強烈で悔しくて悲しくて、複雑な気持ちのまま消化できずに今も時々思い出してしまいます。卒塾式、先生に来てほしいと言われて悩んで悩んで結局行きました。志望校に落ちたことによって、自分への落胆、先生や同級生に対して恥ずかしく情けない気持ち、家族への申し訳なさ、ネガティブまみれの心の中で、やっぱりもう先生に会えないのは寂しいし、せっかく誘ってくれてるのだから行こう、と勇気を出しました。だけど、実際の私は頑固かつ意気地がなく、先生に自分から話しかけるのは怖くて、先生に以前お手紙ももらいましたが、先生のストレートな気持ちを受け入れられるほどの心の余裕がなく、目を背けることしかできませんでした。当時、先生の授業は楽しくて楽しくて、まるで授業じゃないみたいで、お話も面白いし、大好きな時間でした。だけど、先生と気まずくなってからは塾に行くのも億劫になって、更には自分の非を認めたくないからと先生を完全に嫌いになりました。今思えば、先生の信頼を裏切ったのだから、嫌いになるのは先生が私に対してであって、改めて私は幼すぎたのだと感じました。
高校卒業後は第一志望の大学に進みました。塾講師や学童保育でのアルバイトを通して、やっと、先生の立場に立てるようになりました。愛情を持って子どもに接するというのは、甘やかすことではなく、その子どもの未来を見つめることだと感じました。今この瞬間が楽しければ良い、仲のいい生徒だからこの絆を壊したくない、私はアルバイトでそんなことばかり思って、適切な教育ができませんでした。ぬるま湯に浸かっていること、それは私にとって簡単で楽で楽しくてメリットばかりでした。だけど、子どもたちにとってはどうなのか。子どものことを真剣に思えば思うほど、先生としてではなく人としてぶつかることもあるのだと。
中学生の私は、「どうして子どもの私に対してあんなに意地悪なことをしてくるだろう。先生は私を勉強マシンだと思っていて、勉強だけさせて塾の成果をあげて、先生としての地位を上げたいのだろう。」と考えて、そう考えれば考えるほど、先生は私を人として見ていないのではないか、お金としてしか見ていないのではないか、そんなことばかり思っていました。
先生は私のことが嫌いになったんだな、あの時の楽しかった授業、会話が全部過去のものになっていく感覚が怖くて、家で寂しくて悔しくて泣いていました。でも、きっとあの時、この気持ちを言葉にして、直接伝えていたら、どうなっていたんだろうと思います。先生の熱くて優しい視線に見守られていたこと、結果的に私の幼稚さから全てが中途半端で終わったこと、今になってさらに強い後悔として残っています。
こうしてお手紙にして伝えようと思ったのは、私の記憶を先生の中で綺麗な思い出として残してほしいからです。生徒を想う教師の立場として、先生がもしも私を思い出して気にかけてくれる瞬間があったとするならば、私は今自分の頭で考えて自分の力で行動して、信念を強く持って生きていること、覚えていてほしいです。
塾という場では勉強だけを学ぶように思っていましたが、勉強以上に大事なことを学べました。すごく時間はかかりましたが、やっと、自分の中で学びに昇華できました。
先生のおかげです。当時は本当にひどいご迷惑をおかけしました。申し訳ありませんでした。
そして、大変お世話になりました。先生からの教えは時間が経てば経つほどたくさんの学びをもたらしてくれます。お伝えしたかったこと、それは、先生のおかげで、私はきちんと立派に育ったということです。
何も心配しないでください!
ありがとうございました!
これからもずっと、生徒にとって永遠の先生でいてください。


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