周辺情報を大量に浴びせて、でも肝心なことは絶対に言わない。これが日本人の典型的な議論なんだな。先日ある人と議論(というほどのものでもない)して、そう思った。
あれもこれもごちゃ混ぜにして、要点を溶かし込んで解消することを図っているかのようである。記事にしてみて、日本的議論の特徴がくっきりと浮き出てきたように思う。
◇ 相手の立場でものを言う
◇ 相手の気持ちを慮る
◇ わかり合う
いずれも良いことのように見えるが、実は裏がある。相手の領分にずけずけ口を出す一方で、自分のことはだんまりを決め込む。要はそういうことなのだ。でも、お互いにそういう姿勢でいれば、それはそれでうまくいくのかもしれない。
相手のことを自分の中に取り込み、自分のことは相手にゆだねる。これが日本的コミュニケーションの理想形なのかもしれないな、阿吽(あうん)の呼吸みたいなものはこうして生まれてくるのかな、と思う。
そしてこうなると「相手に問い質すことは、日本的コミュニケーションを破壊する行為である」とされるのは当然だよなぁ、と思うのである。
あっもちろん「問い質してはいけない」なんてこれっぽっちもボクは思っていませんから。それより「聞いたことにはちゃんと答えてよ」って思う。
相手の立場でものを言う
ある提案をして、それが採用されるか却下されるか、その審査結果を聞く場面。何の提案かというと、そうだな、とりあえず何かの企画を提案したということにしておこう。まぁ生活保護申請でもクラブ設立に関することでもなんでもいいんだが。
ここまでの所要時間は約 20 分。まだ本題に入っていない。
提案者Bは、6回同じことを尋ねている。「却下した理由は何ですか?」と。
担当者Aは、それに対してまだ回答していない。Bに難癖をつけられているとAは感じているのかもしれないが、Bはただ理由を聞いているだけなのだ。
今日の現実のやり取りをもとに構成しました。実際にこんなやり取りをしてきたところです。下に続きます。
相手の気持ちを慮る
「提案を却下した」という告知を受けた際に提案者(B)が担当者(A)に「なぜ却下したのか?」を尋ねたが、何度聞いても理由を答えてくれなかったという話でした。その続きです。
話を始めてからここまで、所要時間は約 40 分。しつこいのはAさんか、Bさんか、どっちだ? でもあと 20 分ほどで決着します。あとひといき。
次がようやくファイナルです。
わかり合う
40 分間のやり取りが続いた後の最後の 20 分の実況中継です。
現実のやり取りの中では、記事に書いたこと以外にボクが理解した部分・納得した部分が多々ありました。お互いによく知ってる者同士のやり取りですから当然です。
でもね、ボクの質問に対する回答という点に限って言えば、基本的な流れは記事に書いた通りだったんですよ。もちろん、いろいろ脚色し、べたべた着色しましたが、基本的な流れはね。
ボクは審査結果を他の仲間に伝える役回りだから、理由を知る必要がありました。 だから、聞いたんです。そしてようやく聞けた理由が、記事に書いた理由だったというわけです。
実は「哲学同好会の設立申請」だったのですが、考えることに照準を当てようとしている団体に関することだから、ボクはきちんと理屈を通したかった。このやり取りそのものがまさに考えることだから、その団体の格好のテーマになりうると思ったし。
実際には、記事のように物別れというか、あきらめて撤退するわけじゃありません。ボクとしては次の手を考えています。実際どうするかは、年を越してから仲間と相談しますが。
記事の中ではあれこれ書きましたが、本当は感謝しています。ありがとうございました。
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