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もし自分が生まれてこなかったなら…

 以前の記事「やりたくないこと、なりたくないもの探し」にこう書いた。

「何をやりたいか、何になりたいか」を考えるより、むしろ「何をやりたくないか、何になりたくないか」を考えた方が良いんじゃないだろうか。

 今日も似たようなことを考えた。

「死んだら、どうなるか?」を考える際に、同時に「生まれてこなかったら、どうなっていたんだろう?」を考えると、いろいろ見えてくることがあるんじゃないだろうか。

と。考察を続けよう。
 もし自分が生まれてこなかったならば、自分にとって世界は無い。何も無い。きっとそうに違いない。
 自分が生まれてこなくても、なにがしかのものはあるのかもしれない。けれども、自分が生まれてこなかったのならば、それは自分にはあずかり知らぬこと。自分にとっては、何も無いということだ。今ここにある世界は自分が生まれたから「ある」のであって、もし自分が生まれてこなかったならば、自分にとってはこんな世界は「無い」。きっとそういうことなんだろう。
 その考えに立って「自分が死んだらどうなるか?」と考えると、要するに「生まれてこなかった場合と同じ状況になる」んじゃないか。すなわち、自分にとっては「何も無い」状態になるということ。
 他の人にとっては世界は続くのかもしれない。けれども、それは自分にはあずかり知らぬこと。生まれてこなかった人にとって「無い」のと同様に、死んだ後には何も「無い」んじゃないだろうか。
 それでいいじゃん・・・と考えてみた。

 この考え方は「無に還る」と言ったり、あるいは「土に帰る」と言ったりするのとまぁ似たようなものだろう。いや、いっそのこともっと大きなスケールで「宇宙のチリがうまい具合に寄り集まって何だかもぞもぞ動いていたが、しばらくして宇宙のチリに戻っていっちゃったよ」くらいの言い方をしてもよいかもしれない。
 そしてこう考えれば、天国も地獄も要らない。輪廻も魂も業も要らない。神も鬼も閻魔も要らない。ワクワクドキドキするような物語性はないが、同時にウソっぽさも無い。

◇      ◇      ◇

齢、それは致死率100%の病
▷ 「なごり雪」はなぜ切ないのか   
▷ もし自分が生まれてこなかったなら…
▷ 一人称の死、二人称の死、三人称の死
▷ ボケの効用            

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