宮沢賢治の科学者素養が光る3編。理系目線で味わってみよう。
宮沢賢治も知っていた、二酸化炭素の温室効果
宮沢賢治の童話「グスコーブドリの伝記」の最後の部分です。1932年(昭和7年)の作品です。
タイトルが「伝記」ですから、亡くなった人の話なんですね。
ところで、これは「地球温暖化に警鐘を鳴らしている」わけではありません。むしろ逆で、そこにあるのは「東北地方の冷害対策」という発想ですから「二酸化炭素による地球温暖化」を良いものと受け止めているということでしょう。
「雨にも負けず」のアンバランス
全体的に質素な生活ぶりが描かれている中で、一ヶ所だけやけに豪快と思えるような記述がある。「一日に玄米四合」のくだりである。直後には「味噌と少しの野菜を食べ」というようにまた質素な生活ぶりに戻っている。なんだか一ヶ所だけアンバランスな感じがしてしまうのだ。
そう、現代の食生活から考えると、多すぎるのだ。今どきの日本人の食生活では、食う米の量はずっと少ない。もちろん大量のおかずとデザートとおやつを食うからだ。
でも、この食べ方が実は合理的なのだ。説明しよう。
米には動物にとっての必須アミノ酸9種類のうちの8種類が、他の穀物に比べて多く含まれている。残りの1種類の必須アミノ酸を豊富に含んでいるのは大豆だ。だから、たくさんの米と適量の大豆を食べれば、人に必要なアミノ酸は足りるのである。宮沢賢治の「雨にも負けず」の中のフレーズ「 … 一日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べ … 」は端的にそのことを言い表している。
だから人々が肉を食べるようになると、途端に米の消費量が減るのである。肉には必須アミノ酸9種類がすべて豊富に含まれる。これまでたくさんの米を食べることで得ていた必須アミノ酸は、少量の肉を食べることで賄えるからである。
日本の米余りの理由は、俗に言う「パンや麺を食べるようになったから」ではない。肉を食べるようになったから、大量の米を食べる必要がなくなったのだ。「雨にも負けず」から、そういうことも分かる。
フランドン農学校の豚
そりゃそうだ。さて、
だから「フランドン農学校の豚」も承諾書に印を押すように迫られるというわけだ。
こういう(↑)言い方で説得しようとして、そしてこう(↓)続ける。
何ともひどい話とも言えるが、承諾書を取らない現実の畜産と比べてどっちがよりひどいか、あるいはどっちが比較的良いかと考えると、どっちもどっちと思わざるを得ない。
ところで、この作品の中で数字ならびに計算が出てくるのは次の箇所だけだ。
この辺の数値を現在の度量衡ならびに相場で書いてみると、こう(↓)なる。
こういう読み方も面白い。紳士と比較するあたり、皮肉っぽくもある。科学者素養のある宮沢賢治の作品だから、こんな読み方もまた彼の童話の読み方の1つであって良いだろう。
◇ ◇ ◇
〜 宮沢賢治の立ち位置 〜
▷ 宮沢賢治の童話にみる、自然の中での人間の立ち位置
▷ 童話「どんぐりと山猫」にみる、個性・差別化・あるがまま
▷ 「雨にも負けず」のアンバランス