取調べ通訳になっちゃった。
希少言語フリーランスの通訳になります!という状況は突然やって来た。地味にサイドワークで仕事を受けていたピンクのうさぎが踊るCMの大手語学学校運営会社からすごい値段で附属の通訳会社に引抜きオファーが来た。
新しく職場になるオフィスは街のど真ん中、当時アルマーニ路面店が入っているオサレで素敵すぎるビルの上階で働けると説明された。業務内容はオンライン通訳サービス、合間に翻訳で固定給と歩合なんて素敵すぎる条件。
とにかく、今の仕事を辞めてくれないと契約できないというので、引き留められるのを振り切って大急ぎで年末に辞めてから、連絡がだんだん途絶えだした。
契約されないままに放ったらかされること3か月ほど経ったろうか。事業縮小の連絡が入って、夢のような話はなかったことに。
その後しばらくして、その会社の社長がエロい隠し部屋を私が働く予定だったオフィスに作っていて、好き勝手な経営して捕まってましたが。
呆気なくはしごを外され、専業主婦になれば?なんて言う外野もいたけれど、そんなわけにはいかない。船場の商売人の娘が働かんとおまんまいただくなんて性に合わない、と言うか辞書にそんな言葉がない。
自分のしたい仕事をするのだ!と言う気持ちが高まっているが、希少言語なんて社会のほとんどが必要としない。それを仕事にしたいなんてまぁ無茶苦茶。それでもどうしても生温い仕事には戻れなかったわたくしは、NTTに向かった。
今もそんなシステムがあるかわからないが、ネットも十分に活用できない時代だったので大きなNTTには全国の電話帳‼︎があったのだ。
関西地域と東京の翻訳事務所を片っ端から調べてリストにして電話をした。希少言語を扱う会社かどうかをまずは確認し、一社ずつ電話をして履歴書送ったり面接に行った。
当時は希少言語の翻訳者は数もいなかったので、多言語を標榜している会社は登録しておけば何かの時に使えるかも、と専門ジャンルも試験もなく登録してもらえた時代だった。とはいえ、多言語対応の会社はそう多くなかった。
地元ではK通訳という、野球場が住宅展示場になって今はお洒落なショッピングセンターのある場所と春場所が行われる体育館の間の道を入った、ボロいビルにある会社に面接に行った。
2階からしかエレベーターがないビルは入り口もなかなか見つからず、入る前からどぎまぎした。すぐ下の半階下のフロアは怪しげなつけまつげ屋さんがはいっていた。
薄いベニヤのドアを開けると、天井の低い室内に戦前のおじさんのようなスーツ姿の社長と女性の事務員さんがいた。アルマーニの入る、大理石のオフィスで働けるつもりで前職辞めたのは年末だったけれど、もう夏になっていた。
ベニヤ板のクーラーも効いているかわからない事務所で社長はひたすら電車の路線について私に話していた。
仕事の話は、取り調べ通訳したことあるか、手紙の翻訳したか、くらいだった。
私の最寄り駅やなんやかやをネタにしながら話すのを聞きながら、こんな所から仕事来るんやろうか?と思いながらニコニコと相槌を打っていた。
当時は営業回りで詳しいんだと思ったし、本人もそう説明していたが意外と電車賃は正しく請求しないとまずいよ、と言うアピールだったかもしれない。
まぁ、なんかあったら電話しますわ、と路線図の話をひとしきりした後、事務所を出た。
一本筋向こうには高校時代通った予備校があり、留学後の不安定な気持ちとなるつもりも無かったフリーランスになった自分の不安さが重なりあって、汗になって流れ落ちていた。
その日から数週間後、K通訳から手紙翻訳の依頼の電話が鳴った。